脱穀のために乾燥する理由

脱穀に移るまでの短い期間でも、水分の多い麦の束をそのままにしておくと、醸熟(じょうじゅく)して実の品質が低下したり、黴(かび)たり、虫害を受けたりします。次に脱穀するとき、20%程度に乾燥させてから脱穀しないと、実は落ちにくく、また脱穀機の扱き胴(こきどう)の回転で傷害を受けやすくなって、種子は発芽障害を受けやすくなります。



脱穀の方法

農家では動力式の脱穀機や畑で脱穀できるコンバインという作業機を使っています。学習のためには足踏み脱穀機は怪我の危険も少なく良い方法です。

このような脱穀機がない場合には、刈り取った畑にシートを拡げ、その上に台(麦打ち台)を出して、麦束の穂を台に打ち付けて実を落とす方法があります。また、少量であれば、ゴム手袋をして、ざるやシートの上で穂を手の平に挟んで切り揉むようにして実を落とすことができます。
なお、発展途上国では、拡げた麦の上を牛馬やロバに踏ませたり、アスファルトの路上に麦を拡げて車に轢かせて、実を落としている光景を見たりします。



昔の脱穀

奈良時代、刈り取った穂を “つき臼(うす) ”に入れ、“杵(きね)”でついて実を落としていました。この方法は平安時代初期まで続きました。この後、二本の割竹(わりだけ)の間に麦を挟んで脱穀する“扱ぎ箸(こぎはし)”によって脱穀していましたが、この作業は多くの人手を要しました。江戸時代、元禄頃(1700年頃)、竹製の“千歯扱き(せんばこき)”が発明され、急速に普及しました。この千歯扱きをした後、“唐棹(からさお)”などでたたいて実を穂から落としていました。この唐棹は、木や竹の棹の先に、自由に動く棒や細長い板をつけたものです。後に、鉄製の“千歯扱き”が作られ、明治時代に入って完成しました。

さらに、明治時代の終わり(1910年代)には、「足踏み脱穀機」が作られ普及、昭和の初め(1930年代)に小型エンジンを付けた動力脱穀機が使われるようになりました。1960年頃、送り込み装置を付けた自動脱穀機が普及しました。1970年頃から、刈り取り機と脱穀機を組み合わせて、走行装置を付けた「自脱型(じだつがた)コンバイン」が開発され普及し、刈り取りから脱穀の一環作業で大幅に省力・効率化されました。

乾燥の方法

この時期、晴天であれば、実の水分は10%程度になります。なお、乾燥中の種子の温度は、手で触れると熱く感じる50℃以上にならないように気を付けて下さい。60℃以上になると、種子は熱損を受けて発芽低下の危険が出てきます。

実の水分が高いまま保存すると、1)種子として発芽が低下、2)保存中にコクゾウ虫の被害を受けやすい、3)小麦粉品質の低下、などがおこります。

なお、農家から製粉工場に出荷される小麦は10~12%程度の水分に乾燥しなければなりません。

所蔵及び参考文献:
1. 千歯扱き:(独)農業・食品産業技術総合研究機構「食と農の科学館」所蔵
2.「農具」飯沼二郎・堀尾尚志、法政大学出版局1976年刊