世界の小麦粉料理 第24回

歴史あるウィーンの街並みのイメージ

地続きのヨーロッパの歴史は、土地の領有権の争いの歴史といっても過言ではないでしょう。
13世紀半ば、争奪の場だったオーストリアの地域を、ハプスブルグ家のルドルフ一世が領有することになり、その後700年もの間ハプスブルグ家の統治は続きました。その政治手法は、武力に頼らず、政略結婚を駆使して近隣国や力をつけてきた国々と同盟関係を結ぶというものでした。
15世紀中頃には、ハプスブルグ家が神聖ローマ皇帝を世襲することになるなど、政治的影響力を強め領地を拡大していきます。

ハプスブルグ家の政略結婚で世界的に最も有名なのは、18世紀フランス王妃となったマリー・アントワネットでしょう。
フランス革命後、マリー・アントワネットは贅の限りを尽くす貴族の象徴的存在とみなされ、死刑に処せられます。実際には政略結婚や革命に翻弄された気の毒な面がありました。
貧しさに苦しむ人々に「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったとされるのは、真実ではないことがわかっています。

一方、いかにもフランスらしいクロワッサンやコーヒーは、マリー・アントワネットが嫁いだ時にフランスに伝えられたという説もあります。
18世紀にはウィーンではいくつものカフェができ、新たな文化が芽生えていました。 更に18世紀も後半になると砂糖の大量生産が可能になり、価格が大幅に安くなったことで、お菓子やケーキもカフェで提供できるようになりました。
コーヒーはウィーン侵略を狙い失敗したオスマン・トルコの置き土産、お菓子やケーキはハプスブルク食文化の大いなる遺産といえます。15世紀にはハプスブルク家では小麦粉と砂糖、アラビアガムなどを混ぜ合わせたシンプルなお菓子を食していて、その後もさまざまなお菓子やケーキが作られています。

今回レシピをご紹介する「カイザーシュマーレン」も18世紀にハプスブルグ家で作られたデザート(パンケーキ)です。デザートとはいっても、宮廷で食するものとしてはいささか地味な内容です。パンケーキ・シュマーレンはもともとはアルプス地方の典型的な田舎料理でした。
当時の皇帝=カイザーは特別グルメではなかったのですが、大の甘党でした。シュマーレンにたっぷりの粉砂糖とバターを加えたことで好物になり、カイザーシュマーレンと呼ばれることになったそうです。シンプルなものだからこそ、長く愛されるデザートになったのでしょう。

ウィーンは音楽の都です。
モーツアルト、ベートーベン、ハイドン、ブラームス、シューベルトなどの楽聖たちが皇帝たちの厚い保護のもとこの地で活躍しました。
また、他国もふくめ多くの作家がウィーンの街で作品を残しました。
カフェと芸術、今でもウィーンはこうした独特の文化に包まれています。

現在のオーストリアは北海道ほどの国土面積です。第1次大戦の敗戦でハプスブルク帝国は消滅し、第2次世界大戦後1955年に独立が許され、その後は永世中立国としての道を歩んでいます。

出典及び参考文献

  • 「ハプスブルグ家の食卓」 集英社
  • 「ケーキの歴史物語」 原書房
  • 「るるぶ情報版 ウィーン」 JTBパブリッシング

岡嶋芳枝(オカジマ ヨシエ)

岡嶋芳枝(オカジマ ヨシエ)

フードコーディネーター。
コルドンブルーに通いフランス菓子を学び、同時期に都内のパン教室でパン作りも学ぶ。
その後、料理研究家のアシスタントなどを経て独立。現在「Witch’s Kitchen」主宰
自宅で開催する料理教室では誰にでも簡単に出来るアレンジ家庭料理を提案している。
その他、オリジナル菓子をインターネットの店舗に提供したり、カタログや広告媒体の料理製作、スタイリングなどにも携わっている。

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