こうして生まれた 小麦粉料理 長い年月を経て世界の食卓に 第16回「パスタ料理」 イタリア生まれ。世界中で愛されている! 今回はパスタの歴史です。

パスタとは、スパゲッティ・マカロニ類の総称で、小麦粉に水を加えてこねた練り粉をいいます。
歴史上最初のパスタ料理は、練り粉をどろどろの粥状に煮込んでスープにしたものでした。
イタリア料理では今もパスタはスープに分類されています。
小麦粉発見以来、今のヨーロッパである地域を中心に、発酵させた生地を焼いてつくる「パン」が小麦粉料理の主役になりましたが、「パスタ」はイタリアの一部でしか食べられていませんでした。

紀元1世紀から2世紀にかけてローマ帝国は黄金時代を迎えました。ローマ帝国には様々な食材が届けられ、貴族階級は毎晩贅をつくした晩餐会を繰り広げたといいます。その中にはパスタ料理もふくまれていると思われるのですが、5世紀後半帝国滅亡と共に、美食文化は消滅。その後数百年にわたり、食事は質素にという文化が続きました。
13世紀、豊かさを取り戻したイタリアでは、パスタを生のままスープに入れたり、ゆでてソースのような調味素材と和えて食べるなど、今の食べ方の基本ができあがりました。
15世紀の書物には、穴のあいたマカロニの作り方が記されています。

イタリアの郷土料理パスタが世界中に認められるようになったのには3つの要因があります。
そのひとつ、乾燥パスタの誕生です。乾燥パスタの誕生には諸説ありますが、確かなことはわかっていません。乾燥パスタは14~15世紀頃までは、天日乾燥の方法しかなく、晴れた日が多い地中海性気候のイタリア南部で作られていました。なにより保存が利くことで他国への輸出が可能になりました。
要因の2つ目、16世紀には一部機械を使用した押出し方式の圧力機が生まれます。これにより大量生産可能なパスタ製造所が作られるようになりました。18世紀後半からイギリスで起こった産業革命以降、押出し機の動力は人力から油圧、そして電力へと進歩していきました。
要因の3つ目は、食用トマトの開発です。南米アンデス原産のトマトは16世紀に観賞用としてヨーロッパに伝わりました。17世紀にはイタリアのナポリを中心に品種改良が進み、野菜として使用されるようになりました。
トマトとパスタの相性の良さはいうまでもありません。トマトソースは今でも世界共通の最も基本的なパスタソースです。

日本へパスタが持ち込まれたのは、幕末。横浜の外国人居住地で外国人が食べていたらしいといわれています。というのも幕末から明治にかけて日本はイタリアとはほとんどつながりがありませんでした。ですから、日本ではパスタの存在を誰も知らず、後からあのころ外国人が食べていた穴の開いた妙な麺類はマカロニだったのだろうという推測でした。
明治28年、日本人コックがイタリアから持ち帰りレストランのメニューに加え、ようやくパスタが日本人にも食べられるようになりました。しかし、提供されるのは高級西洋料理のレストランだけで、一般の人にはまるでなじみのないものでした。
パスタが広く食べられるようになったのは、戦後の混乱もようやく落ち着いてからのことです。
昭和29年、当社がイタリア製のマカロニ製造機械を輸入、「オーマイ」のブランド名で国内初のマカロニの販売を開始しました。
発売当初はまだパスタの食文化が日本には定着していなかったため、マカロニのゆで方や食べ方からPRしていたのですが、わずかの期間に学校や病院などの給食メニューにマカロニサラダが登場し、日本の食卓にマカロニが浸透、定着していきました。
以来半世紀、日本のライフスタイル、食生活の変遷に呼応し、後に販売を開始したスパゲティとともに、オーマイブランドは国産パスタの代名詞となりました。

パスタの主成分は複合糖質(でんぷん質)。パスタはからだのエネルギーのもとになる大切な栄養源であること、また近年ダイエットにも効果的であることで注目されています。
さらに、マラソンなどスポーツ競技の前の食事に最適であることが認められています。

出典及び参考文献
  • 「おいしく作れるパスタ・食材カタログ」日本文芸社
  • 「パスタ入門」日本食糧新聞社
  • 「世界の味探求事典」東京堂出版

岡嶋芳枝(オカジマ ヨシエ)

フードコーディネーター。
コルドンブルーに通いフランス菓子を学び、同時期に都内のパン教室でパン作りも学ぶ。
その後、料理研究家のアシスタントなどを経て独立。現在「Witch’s Kitchen」主宰。
自宅で開催する料理教室では誰にでも簡単に出来るアレンジ家庭料理を提案している。
その他、オリジナル菓子をインターネットの店舗に提供したり、カタログや広告媒体の料理製作、スタイリングなどにも携わっている。

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