坂本雄次の訪問!スポーツ人 vol.9 大山加奈さん

祝!ロンドン五輪 日本女子バレー銅メダル獲得!

メダルを獲ってくれてありがとう

坂本雄次さんと大山加奈さん

坂本雄次(以下 坂本)  私の世代でバレーボールというと、大松博文監督や東洋の魔女になるんです。
あの頃から長い間、世界のレベルとのギャップができて、苦しんだ期間が長かったと思うんですよね。しかしここに来て、チームのレベルが世界に拮抗してきて今回メダルを獲りました。私も本当にうれしかったです。日本のバレーボールは、かつてはメンタル面の問題なのか、どうしても得点につながなくてはいけないという場面で、結果が出ていなかったですね。いいところまでいくんだけれども、ハードルを乗り越えられないという印象がありました。
大山さんは、女子バレーが銅メダルを獲得したことはどう感じていらっしゃいますか?

大山加奈(以下 大山)  純粋にうれしいという気持ちが大きいですね。どうしてもサッカーに押されてしまって、バレーボールの競技人口も減っていますし、メダルを獲ったことは今後のバレーボールの世界にとても大きな影響を与えると思いますので、本当にありがとうという気持ちですね。

坂本  今回のオリンピックは予選から勝ち上がって行きましたね。各国代表チームがしのぎを削っていました。オリンピックの上位6チームや10チームと、それ以下のチームというのは実力の開きがあるものですか?

大山  私が現役の頃は、トップ3のチームには歯が立たなかったですね。
でも今はあまりそのような差はなくて、今回のオリンピックも、どこが優勝してもおかしくないという状況でした。それから日本はラッキーでもありましたね。予選の組み合わせからしてついていました。

バレーボールとの出会いから、全日本メンバーになるまで

ぜんそくで苦しんだ少女時代

大山加奈さん

坂本  バレーボールを始めたのは小学校2年生だったそうですね。きっかけは何だったのですか?

大山  その頃から飛びぬけて背が大きかったので、小学校に入学してすぐに、先輩の目にとまって「バレーボールやらない?」と誘われたのがきっかけですね。

坂本  当時の身長はどのくらいあったんですか。

大山  140センチくらいありましたね。

坂本  小学校2年生の中では大きい方なんでしょうね。

大山  はい、相当大きいですね(笑)

坂本  小学校では全国大会を制覇されて、「金の卵」と称されたんですよね。バレーボールはジュニアチームがあるんですか?

大山  住んでいた地域には小学校で強いチームがたくさんあり、私が入っていたのは3つの小学校が集まったクラブチームでした。
練習を見学に行ったら、すごく楽しそうに見えたんです。でも体が弱かったので、「バレーボールをやってみたい」と言ったら両親に大反対されました。それで小学校1年生の時はあきらめたんですが、小2の時にやはりどうしてもバレーボールをやりたくて、両親を説得して始めました。

坂本  大山さんは小児ぜんそくだったそうですね。

大山  そうです。今でも時々発作が出るんです。幼い頃は頻繁に発作が出て、夜中に病院に運ばれることが多かったです

坂本  実際にバレーボールをやってみてどうでしたか?

大山  実は最初の方は楽しいという気持ちを持てずにいました。運動神経がとても悪くて、なかなか上手にならなかったんですよね。ぜんそくの症状も出てしまうので練習も休みがちでした。

坂本  興味を持ってはじめたバレーボールだったけれど、実際は厳しい世界だったんですね。ぜんそくが出にくくなったのはいくつぐらいの時だったの?

大山  スポーツを始めて、最初の頃はぜんそくの発作が出てしまっていたんですが、妹がバレーボールを始めた時に「負けたくない」という気持ちが芽生えて、それからはあまりぜんそくが出なくなりました。気持ちの部分が大きかったとも思いますね。

坂本  スポーツをすることで、病気も克服していったんですね。

世界レベルの身長の秘密は、大食漢だった小学校時代にあり?!

坂本雄次さん

坂本  身長が高くて長い手足が武器だったと思いますが、小学校6年生ですでに175センチ身長があったそうですね!

大山  そうなんです(笑)175センチでランドセルをずっと背負っていたんですよ(笑)

坂本  それ面白い姿だよね(笑)服に困ったでしょう。

大山  困りましたねー。今も困っています。

坂本  現在は何センチあるんですか?

大山  187センチです。

坂本  でも、外国の選手と比べると決して大きい方ではないんでしょう?

大山  日本の中では一番大きいのですが、世界レベルになると標準ですね。

坂本  ご両親は身長は大きいんですか?

大山  父が190センチ、母が167センチです。

坂本  そうなんだ!それはDNAだねぇ。190はでかいですねぇ。

大山  はい(笑)

坂本  お父さんは何かスポーツをやっていらっしゃったの?

大山  何もやっていなかったです。もったいないですね。

坂本  お父さんが190センチで、このまま自分が成長したらどこまで行っちゃうんだろうと感じたことはありますか?

大山  いえ、それが小学生の時は、大きいことがとても誇らしくて、まったくコンプレックスに感じたことはなかったです。

坂本  バレーボールは身長があった方がいいでしょうから、高さを武器に活躍をして、楽しさを感じていたからでしょうね。

大山  今の方がコンプレックスを感じますね。

坂本  小学校の頃、食事はどうしていたんですか?

大山  食事はものすごい量を食べていましたね。母がものすごい量を作ってくれて。

坂本  量だったんだ。

大山  おにぎり9個食べていました(笑)妹もバレーボールをやっていたので、二人で大きなお皿で焼きそばなど食べていましたね(笑)

坂本  代謝も高いし、どんどん消費していたのでしょうね。体が順調に成長しているし、運動していて、たくさん食べていたようですが、食事の質で、野菜や、炭水化物、ビタミンを摂るなど、意識していたことはありますか。

大山  栄養のことは小学校の頃は意識していなかったですね。

坂本  ではお母さんが作ってくれる食事をひたすら食べていたんですね。

大山  ただ、残さず食べるようにしていました。(笑)

高校3年生で全日本代表として活躍、世界の壁にぶつかって

大山加奈さん

坂本  春高バレーで三冠達成をされて、大山さんの頭の中では全日本に入りたい、オリンピックに出場したいという強い意識があったのでしょうか?

大山  小6の時にアトランタオリンピックを見て「オリンピック選手になりたい」という夢を持ちました。大林さんたちが活躍されていた頃です。

坂本  春高バレーで三冠達成して、高校生の時には全日本の代表チームに入ったんですか?

大山  高1の時に初めて選ばれたのですが、なかなか全日本の合宿に参加できず、高3で初めて参加しました。

坂本  高校のバレーボールは部活ですが、全日本となるとワールドカップやオリンピックが目標になりますよね。同じようにフィジカルに恵まれ、優秀な選手がたくさん所属していますが、全日本と、普段の高校での部活での雰囲気は違いましたか?

大山  参加できてうれしいという気持ちが大きかったですね。初めて全日本の合宿に参加した時は、楽しくてしょうがなかったです。

坂本  大山さんが入る以前から全日本のチームで活躍をしていた選手たちと、今度はチームメイトになったわけで、その人たちと一緒にできるということはうれしかったでしょうね。でもうれしいと感じたのは、大山さんのレベルが高かったからだと思いますよ。野球でも、高校からプロに入った時に体つきも違うし、トレーニングも違うから、その差に苦しむ選手がいると聞きます。でも大山さんが全日本に行った時に「バレーボールが楽しい」という前向きな気持ちでスムーズに溶け込んで行けたというのは、すごいと思います。だって「初めて参加するけれど大丈夫かな」なんて不安はなかったわけでしょう?

大山  そうなんです。全日本に参加してすぐに「日米対抗」でレギュラーとして試合をしたんですが、それがまた楽しかったんです。
ただ、その年の、2002年の世界選手権で、日本は史上最低の13位になってしまいました。そこで「全日本というのは大変なところだ」というのを知りました。

坂本  その13位というのは、全く歯が立たない感じでしたか、それとももう少し頑張れば手が届くと思いましたか?

大山  歯が立たなかったと思います。

坂本  今ではオリンピックでは日本と世界は力が拮抗してきましたが、当時感じた力の差はパワー、スピード、技術、メンタルなど、どういうところでしょうか。

大山  メンタルの違いを強く感じましたね。日本のチームは気持ちがバラバラだったように思います。

坂本  私が知っている時代のバレーボールは、日本、中国、ソ連がメダルを争っている時代でした。そのあと、勢力図が変わってきて、キューバやブラジル、アメリカなどが強くなってきましたね。体にも恵まれているし、技術も磨いて追いついてきました。そんな中で体格も劣るし、メンタルもよくなかった日本は勝ちようがなくなってきたんでしょう。

大山  私が入った頃の全日本は「自分たちは勝てない」と最初からあきらめてしまっているところがありました。今の全日本であればメダル圏内で、明確に目指すものができましたが、私の頃は目標設定がしっかりしていなかったように思います。

選手としての一日と食生活

坂本雄次さん

坂本  現役時代のことを教えてください。一日の生活スタイルはどうでしたか?

大山  全日本の合宿中は、朝6時から1時間ほど朝の練習があり、その後朝食です。休憩してから、午前中は9時頃から始まって12時頃まで、午後は3時頃から6時頃まで練習です。それから夜は、長い時は9時半頃まで練習していました。朝と夜の練習は自主的なものです。

坂本  10時間近く練習するんですね!それだけ体を動かしていると疲れると思いますが、疲労回復はひたすら寝るだけ?

大山  そうですね。でも睡眠時間が少なかったのであまり体にはよくない生活だったと思います。

坂本  食事内容はどうでしたか?例えば野菜が足りないな、などと思った時は自分で調整していたんですか?

大山  当時は栄養士さんがついていなくて、アテネの後からそういう体制が整ったので、自分でやっていましたね。

坂本  夜遅くまで練習するとまた腹が減るでしょう?

大山  夜はヨーグルトなどを食べていました。

坂本  振り返って「これを食べたら安心」など意識して摂っていたものはありますか?

大山  お米は積極的に摂るようにしていました。好きというのもありますので。

坂本  おかず類ではどうですか?

大山  今では野菜を摂ろうなどと意識しますが、当時はあまり気にしていなかったです。ただ、昔から出されたものは残さず食べるようにしていました。(笑) 

坂本  試合が終わって結果を残したら、ご褒美にケーキを食べたりする選手もいますが、大山さんにとってそのようなものはありますか?

大山  私が所属していた東レのチームは、試合の3日前から甘いもの禁止という決まりがあって、試合が終わったあとのお楽しみでみんなで甘いものを食べていましたね。

坂本  甘いものはもともと好きですか?何が一番好き?

大山  アイスが好きですね。でも最近は甘いものが食べられなくなってしまいました。現役中はあんなに食べていたのにと思うと不思議です。

坂本  私もお酒が飲めないので、甘いものが好きだったんです。30代40代の頃は体ももっと動かしていたし、チョコレートなんてたくさん食べていたんですよ。でも年を取って嗜好が変わり、和菓子が好きになってきましたね。現役時代は寮生活だったの?

大山  寮でした。

坂本  寮ではチームメイトもいたんですね。女子寮って賑やかそうですね。

大山  どうでしょう?それが当たり前の環境で育っているので。

坂本  サッカーのなでしこもそうだし、男から見ると女性っておしゃべりだし、賑やかそうだなって思ったんですよ。寮って楽しいだろうなぁって思うのですがどうでしょう?でも疲れてしまって部屋にいることが多いのかな?

大山  そうですね、結構部屋にこもっていることが多かったですねぇ。

坂本  食べているか寝ているか、バレーをやっているかそんな感じかな?

大山  はい、でもみんなでお風呂に入るのはストレス解消になっていましたね。

坂本  引退後に、ご自身で健康を保つために食事で気を付けていることはありますか?

大山  豆乳を毎日飲むようにしています。

坂本  豆乳はたんぱく源としてすごくいいと思いますよ。野菜のステーキといわれていますからね。

大山  それから、忙しくてさぼりがちになってしまうのですが、できるだけ自炊をするように心がけています。圧力鍋を使って、野菜や大好きな鳥肉を煮込むんです。

坂本  嫌いなものってあるの?

大山  レバーが嫌いです。刻みながら食べていましたね。

腰の故障に苦しむ

大山加奈さん

坂本  長い時間体を動かしていると、筋肉を酷使するから、アミノ酸系のものを摂って、寝ている間に修復させるようにしますよね。疲労回復のために食べ物で何か気を付けて摂るようにしていたものはありますか。

大山  アミノ酸の補助食品で補っていましたね。

坂本  いわゆる食材で補うことはしていなかったんですか?

大山  あまりしていなかったです。

坂本  それで故障しなかったの?

大山  はい、腰を故障してしまいました。

坂本  高くジャンプして空中動作をし、下りる時は不自然な形にもなるから、腰に負担がかかりやすいですね。最初に腰の具合が悪くなったのはいつですか。

大山  中学校1年生の時だと思います。中学時代からサポーターを付けてプレーをしていまいした。小学校の成長期に激しい運動をし過ぎたということと、栄養や体のケア知識がなく、クールダウンをしっかりやっていなかったので故障しやすかったんだと思います。
高校生になって、足につっぱるような違和感があったのですが、当時はそれが腰から来ているということがわからなかったんです。「なんだろうな」と思いながらプレーをしていました。そして実業団に入った時にトレーナーさんに相談したら「すぐMRIを撮ってきなさい」といわれて、それでヘルニアというのがわかったんです。

坂本  それはきつかったでしょう?

大山  その頃はまだしびれもひどくはなかったのですが、そのあと痛みが強くなってきました。2007年には脊柱管狭窄症になってしまったんです。腰をまっすぐ伸ばすことができなくなってしまいました。激痛で、おばあちゃんみたいにずっと腰を曲げて過ごしていました。

坂本  スポーツって体幹が大事ですよね。お尻から背中にかけての起立筋を鍛えるようにしていましたか?

大山  アテネが終わってからは意識して鍛えるようにしていました。腰を痛めて動けなくなってしまってからですね。なんにもできなくなってしまって、生きているのが辛いくらいでした。

坂本  実は私は、故障の宝庫というくらい手術もたくさんしているんですよ。
狭窄症やヘルニアの手術もしました。腰が故障すると「腰は人間の中心だ」というのがよくわかるでしょう?大山さんが腰を痛めたということを聞いて、さぞかしきつかったんだろうなと思ったんですよ。人間の体は骨組みと、それを支える筋肉とのバランスで成り立っているわけだから、そのどちらかが崩れるとガタガタと来ちゃいますね。手術はしたんですか?

大山  しました。手術で足のしびれは取れましたが、腰の痛みはまだ残っていますね。

坂本  小学校の頃から一貫してバレーボールに取り組んできて、2年前に引退するまでに「バレーボールをやりたい」という情熱は全く変わらなかったですか?

大山  やめるまでの後半の数年は「楽しい」という気持ちをあまり持てずに「苦しい」という気持ちの方が強かったですね。

坂本  後輩もいっぱい出てくる、全日本というチームではあるレベルを保たなくてはいけない、レギュラー争いもあって、自分は故障も抱えているとなると、けっこう葛藤するでしょう

大山  そうですね。かなり葛藤しました。

坂本  そこで競技生活をきっぱりやめることを決めるということは、小学生のころから生活の一部で、自分のすべてだったバレーボールから離れるわけだから、すごく重い決断だったんじゃないかと思うんですよ。
小学校時代から陽のあたる第一線でやって来られて、怪我が挫折のきっかけになったのでしょうか?

大山  学生時代は順調に来たと思います。オリンピック後、腰を痛めてからが挫折でした。

坂本  でもそれはよい経験だったと思いますよ。順調過ぎてそのまま現役を引退した場合、その後何かあった時に、辛抱したり、我慢したりするという気持ちが育たず弱いと思うんですよ。

大山  私も怪我をしていろいろと経験できてよかったなぁと思っています。怪我をしていなければ、今の仕事もしてなかったんじゃないかと思います。今は、自分のこの経験を子どもたちに伝えたいですね。

バレーボールを通じて次世代に伝えたいこと

人として大切なものを教えてくれた、バレーボール

坂本雄次さんと大山加奈さん

坂本  2010年に引退するまで、大山さんにとってバレーボールはどんな存在でしたか?

大山  自分のすべてでした。バレーボールしか知らないという人生を送ってきましたからね。バレーボールと出会えて本当によかったと思っています。

坂本  長い期間夢中になれるものは誰にでもあるわけではないし、持っていた才能があってこそ充実した時を過ごすことができたのでしょうから、それは本当に幸せなことだと思います。小学校から社会人になるまで取り組んだバレーボールというものは、大山さんの中にいろいろなものを残してくれたんだと思うんですよ。
第一線から離れたわけですが、現役でやっている頃とバレーボールに対しての見方が変わりましたか?

大山  「バレーボールって人として大事なことをたくさん教えてくれるスポーツだ」というのを、今では強く感じています。パス一つ出すにしても、優しさや思いやりの気持ちがとても大事で、次の人がいかにプレーしやすいようなパスを出してあげるのか、考えながら実践するので、子どもたちにとってはすごく勉強になるいいスポーツだなと感じています。
また、バレーの魅力って、1人じゃできないところだと思うんですね。サッカーやバスケットボールもチームスポーツですが、1人でドリブルしてシュートして点を取れますよね。でもバレーボールは一人で続けて2回は触れない、必ず誰かがつないでくれたボールでないとスパイクが打てないんです。特に、私は苦しい場面でトスが上がってくるポジションにいたので、みんなが頑張ってつないでくれたボールを自分が決めた時は、大きな喜びを感じましたね。

坂本  自分のところにボールが来るまでに、前の人がつないでくれた気持ちが入っているんだものね。

大山  「自分に任せてくれた」というその気持ちがうれしかったです。それがとても支えになっていました。

坂本  それは大きいですね。すごいサーブが来ても、次の人が受けやすいように上げる。セッターはスパイクする人に対して、またベストポジションのボールを上げる。ボールを落とさずに、3回で必ず相手のコートに返さなくてはいけないわけですが、次の人に対して何ができるかということを、常にゲームの中で実践しているんですね。今みたいに、自分のことだけを考えがちな世の中では、余計に大事だと思うんですよ。大山さんがとらえているバレーボールへの想いって、素晴らしいことだと思いますよ。 スポーツを通してそんなことを感じていたんですね。

子どもたちに伝えたいこと

坂本雄次さんと大山加奈さん

坂本  今、大山さんは子どもさんたちを教えることで主にバレーボールに関わっているんですね。

大山  はい、全国を回ってバレーボール教室をしていることが多いですね。

坂本  大山さんがバレーを始めた小学生当時は教わる側でしたが、今は教える立場なんですね。

大山  教えるって難しいなぁと思いますね。自分ができることが、教える相手ができないのはなぜだろう、ということがわからなくて、伝え方が難しいですね。

坂本  教室にやってくるのは「大山先生に教えてほしい」「バレーボールを教えてほしい」という子どもたちでしょう?

大山  それ以外に、学校の体育の授業でバレーボールを教える機会もあります。

坂本  そうすると、全員がバレーボールを好きな子どもばかりではないこともあるんですね。

大山  そうですね。でもバレーボールをやっている子どもを対象にした教室よりも、普通の体育の授業で教える方が私は好きですね。自分も最初は体が弱くて、運動が苦手で好きではなかったのが、スポーツの楽しさを知って、今のような人生を歩むことができているので。

坂本  大山さんが小学校の頃は、どのような練習をしていましたか?ひたすら試合形式の練習なの?

大山  小学校時代はひたすら試合でしたね。でも、それではよくないということを自分の怪我の経験から学んだので、今、子どもたちに教える時は、下半身を使って、ボールの下にしっかり入るということを意識して教えるようにしています。

坂本  そうだよね。土台がしっかりしていないと、自分がイメージした通りに体が動かないですからね。

大山  それからバレー教室では、必ず時間を取ってクールダウンの大切さを伝えています。現役時代の経験から、クールダウンの重要性を痛感したんです。あとは質問コーナーの時に「どうしたら身長が高くなりますか」と聞かれることが多いので、そこで「三食好き嫌いせずにきっちり食べること」と「朝ご飯を必ず食べましょう」ということを必ず伝えるようにしています。

坂本  現役の時は試合などをするのに夢中だったでしょうが、引退されて子どもたちや親御さんを通して体のメンテナンスや仕組み、食育のことなどを伝えなきゃいけないだろうから、現役時代の経験をフィードバックすると、これからいろんなことができるんじゃないでしょうか。
最後に、スポーツに取り組んでいる次世代のお子さんたちに、大山さんから何かメッセージはありますか。

大山  私は小、中、高と日本一になっているので、説得力がないかもしれませんが、試合に勝つということもすごく大事だけれど、でも勝つよりももっとたくさんの大事なことがあるというのを、スポーツから学んでほしいなと思います。チームによっては「何をやっても勝てばいい」というところも結構多いんです。そうではなくて、学生時代に学んでおくべきこと、大事にするべきことをスポーツから得てほしいなと思います。

坂本  スポーツって結果が出るもので、その結果で一喜一憂することも大事だけれど、そうじゃないものがスポーツ、バレーボールの中にもあるということですね。
大山さんの言葉はすごく説得力がありました。バレーボールを通して「自分が次の人のために何をするのか」ということをずっと考えながら実践して来られたわけですからね。すばらしいものを得てこられたと思います。 今日はありがとうございました。

「運動」と「食」について

こばたてるみ

公認スポーツ栄養士 管理栄養士・健康運動指導士
株式会社しょくスポーツ代表 こばた てるみ

3年間の銀行勤務後、スポーツ栄養の世界へ。日本初の公認スポーツ栄養士16名のうちの1人。現在、栄養サポートを行っている「清水エスパルス」をはじめ、競泳オリンピックメダリストやプロ野球、箱根駅伝選手など数多くのサポートを手がける。また、ビジネスマンやOLの方向けのヘルシー&ビューティーレシピの提案や、10日で3万食完売したスポーツ弁当をはじめ様々な商品開発、料理番組出演など幅広い活動を行っている。地域食材を使った料理と共にお酒を楽しむため、テニス、ゴルフ、ランニングで汗を流している。

“残さず食べる”+“ハードな練習”で掴んだバレーボール少女の夢

 小・中・高校で日本一となり、さらに小さいころからの夢であったオリンピックをはじめとする世界の舞台で活躍してきた大山さん。187cmの長身から繰り広げられるスパイクは多くのファンを魅了してきました。バレーボール選手としてとても恵まれた体格を有していた大山さんですが、すでに小学生の頃から背が高かったといいます。ご両親が大きかったこと(遺伝)もあると思いますが、バレーボールの練習による骨や筋肉への刺激、ボリューム満点の食事を毎日残さず食べていたことも大きな要因だったといえるでしょう。中でも、小学生の時に「おにぎりを9個たべていた」というコメントには驚かされました。最近では「1杯300gのドンブリ飯」が食べられない男性アスリートやジュニア選手も多い中、その3倍ものご飯を1度に食べていたのだから立派です。
 バレーボールはポイント制の競技の為、対戦相手とレベルが拮抗していると試合時間が長引きます。プレーの中には、レシーブやスパイクなど瞬発力を要する動きや、跳躍力を必要とするブロックやスパイクもあるため、高い身体能力が必要とされる競技です。そのため、様々な栄養素をしっかり補給することが大切です。大山さんの場合には、栄養のことは気にしていなかったとのことですが、「残さず食べる」ように心がけていたことが結果的にバランスの良い食事摂取につながっていたといえるでしょう。

ローストチキン

 一方、競技生活の後半はケガに苦しんだ大山さん。精神的にも肉体的にも大変だったことでしょう。でも、今はその経験をポジティブに捉え、子ども達の指導に役立ててらっしゃるといいます。トップの世界で活躍された方の言葉には重みがありますので、とても素晴らしい取り組みだと思います。
 さて、ケガをせずにコンディション良くトレーニングし続ける為の食事面での配慮は、バランスの良い食事を適切な量とタイミングでとりつづけることです。ただ、それでもケガをしてしまうことはあるでしょうし、関節痛や成長痛などが出現することもあるでしょう。そのような際に積極的にとりたいのが、筋肉の主材料である「たんぱく質(肉、魚、卵、豆、乳類)」、骨づくりに不可欠な「カルシウム(乳製品、小魚、豆類、乾物)」、骨と筋肉をつないでいる腱や靭帯の合成に欠かせない「ビタミンC(青菜、いも、いちご、柑橘類)」をとることです。また、腱や骨、軟骨に存在している「コラーゲン」を豊富に含む食材を活用するのも一案でしょう。ただ、ヒトを対象とした研究では「コラーゲンが骨・関節疾患の症状緩和に役立つ」という信頼できるデータは少ないようですので、高価なサプリメントや健康食品に傾倒するのではなく、鶏手羽やフカヒレ、牛すじ、鶏皮などの食品からの摂取を心がけるとよいでしょう。
 バレー教室では、バレーボールの技術を教えるだけでなく、「3食好き嫌いせずにきっちり食べること」も必ず伝えているという大山さん。ご自分の経験を活かし、ぜひ多くの方に「バレーボール(スポーツ)」の魅力や「食の大切さ」を伝えていってください。

<ローストチキン>

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坂本雄次プロフィール

坂本雄次さん

1947年神奈川県生まれ。
自身のダイエットのため始めたランニングをきっかけに、当時在籍していた東京電力で陸上部の監督を15年務め、素人の中からフルマラソンを2時間30分で走るランナーを数多く育成する。
1993年にマラソンの各種大会を企画運営する会社「株式会社ランナーズ・ウエルネス」を設立。
日本テレビ 24時間テレビ の「24時間マラソン」、「湘南国際マラソン」などの立ち上げに尽力。間寛平さんのアースマラソンのアドバイザーとしても完走をサポート。

AIMS公認距離測定員
国際スパルタスロン協会日本支部代表
一般社団法人日本ウルトラランナーズ協会(JUA)理事

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