坂本雄次の訪問!スポーツ人 vol.4 小野寺志保さん

キャッチボールが好きだった少女時代

坂本雄次さんと小野寺志保さん

坂本雄次 (以下坂本)  小野寺さんは子供の頃からサッカーを?

小野寺志保(以下小野寺)  父が野球好きだった影響で、小さい頃はよくキャッチボールをして遊んでいました。
ひとりでも、野球のボールで遊んでいましたね。屋根にボールを投げて、雨樋を伝って変化しながら落ちてくるのをキャッチするというのが楽しくて、1時間でも2時間でもやっていました。ボールを取ることが好きだったんです。
ですから小学校の頃は野球部に入りたいと思っていましたが、「女子は野球部の試合に出られない」と聞いて、女子サッカーをやることにしたんです。

坂本  サッカーでも、「手でボールを取る」ことができるポジションがありますものね。

小野寺  そうなんです。女子サッカーを見学に行った日、「私はキーパーをやります!」と言って、その場で入団を決めてしまいました。(笑)

坂本  そして、ベレーザ入団が、高校生の時ですね。

小野寺  高校の時、たまたま雑誌で「ベレーザ優勝」という記事を見つけたんです。ただその1ページを見ただけなのに、ものすごく憧れてしまって、絶対に入りたいと思って電話したんです。ちょうど「キーパー募集中」だったこともあり、タイミングよく入団が叶いました。

坂本  小野寺さんの場合は、最初からキーパー志望だったんですね。選手の適正を見て、キーパーになるということもあるのですか?

小野寺  よくあります。やっぱり上背がある選手で、反射神経が良ければキーパーを勧められることもあります。でも、やっぱりサッカーは点を取るのが醍醐味なところがありますので、「キーパーやって」と言っても、「嫌です」と断られたりしますから…。(笑)

坂本  直近でキックしてくるのって、すごい迫力でしょうね。例えば顔面でボールを取ったとか、そんなことも当然あるわけでしょう。

小野寺  はい。でも、ボールが飛んできたときは、「どこでもいいから当って跳ね返れ!」と思っていますので、顔に当っても、ゴールに入らなかったら「良かった!」って思っていましたね。(笑)

サッカーに明け暮れた20年の選手生活

現役時代の食生活

小野寺志保さん

坂本  現役選手だったときに、食生活で気をつけていたことはありますか?

小野寺  入団当初、食事については、正直、あまり考えていなかったんですよね…。
ベレーザは、みんな仕事や学校と掛け持ちですから、練習は夜の6時半から始まるんです。そうすると、練習を終えて家に着くのが11時や12時を過ぎることもあるので、夕食を取るまでにものすごく時間が空いてしまうんですね。
少しづつ意識が変わって練習場におにぎりや、魚肉ソーセージを持って行くようになりましたが、最初の頃は練習が終わって「お腹すいたからカップラーメンを食べちゃおう」なんてこともありました。食事のとり方には問題があると思っていました。

坂本  時間に追われて、そこまで気を回す余裕が無かったのでしょうね。
でも試合前の食事ではさすがに気をつけていたでしょう?

小野寺  ホテルで軽食が出る時には、パスタ、おにぎり、フルーツを自由に取れるようになっていて、やはり試合直前は、炭水化物は必ずとるように意識していました。私は麺が大好きで、ミートソースのパスタをよく食べていましたね。
それくらいであまり参考にならないかもしれないのですが、私は実家暮らしだったので、家で食事をとっていたのが良かったのだと思います。

坂本  やっぱりおかあさんが作ってくれるご飯が、一番いいんでしょうね。

小野寺  そうなんです。小さいときから、きちんと煮干しで出汁を取ったおみそ汁を作ってくれる家でした。そういう手作りのものを食べさせてくれて、体を作ってもらったというのが非常に大きかったのかなと思います。おかげで大きなけがをすることなく20年間プレーできたことを感謝しています。

紆余曲折の女子サッカーリーグ

坂本雄次さん

坂本  小野寺さんが入団した1989年は、草創期の女子のリーグですけれども、当時はどんな感じだったのですか。

小野寺  割とリッチな時代でしたから、リーグ戦なんかでも、ホテルのシングルに前泊させてもらったりしていました。当時高校1年生だった私にとっては、そういうことは特別な体験でしたから、とてもワクワクしていましたね。
できた当初は、珍しいこともあってかなり取材も来ていただいたんです。 それこそ雑誌にもカラーで載ったりして、華々しくスタートしました。

坂本  草創期の最初の物珍しさ感はあっても、やっぱりそれだけでずっと人気が右肩上がりで行ったわけではなかったんですよね。

小野寺  はい。1996年のアトランタ五輪に出場が決まった時まではよかったんですが、2000年のシドニー五輪を逃した頃から、取り巻く環境も大きく変わっていきました。経済的にもバブルが崩壊して、たくさんの企業が「もう、女子サッカーはやらない」ということで手離していき、まだまだプレーしたいという選手もやめざるを得ないような状況に陥りました。

坂本  いろいろな意味でしんどくなってきたわけですよね。この前のワールドカップで優勝して、女子サッカーが再び注目を浴びるまで、色々ジレンマもあったと思います。

忘れられない試合 会場が青に染まった!

小野寺志保さん

坂本  印象に残っている試合はありますか。

小野寺  やはり一番感動したのは、2004年のアテネ五輪出場がかかった、オリンピックアジア予選準決勝、北朝鮮戦です。
シドニー五輪を逃してから、お客さんがまったく入らないリーグで何年間もプレーしてきて、「次のアテネオリンピックでもう一回、女子サッカーを見てもらいたい」とみんなが強い思いを抱いていたと思います。
この時、日本サッカー協会がPRに力を入れてくれて、合宿中にテレビを見ていたら、ドラマの途中で画面右上に、「日本vs北朝鮮戦」の試合日程のテロップが出たんです!
みんな驚いてしまって、「すごいね。本当にお客さん来ちゃったらどうする!? でも、来てほしいよね!」とか言って、選手同士で大騒ぎ。(笑)
当日、国立競技場に着いてみたら、もう本当にたくさんのお客さんが来てくださっていて、客席が (応援者のユニフォームウエアで)真っ青に染まっていて…。鳥肌が立ちました。
私はそのときベンチにいたんですけれども、そのベンチの中にいても、観客のみんなの「わー」という声援で、ウワッと背中を押されるような力を感じたのです。それで、実際にやっている選手たちに話を聞いても、「そうだった! 体が信じられないくらい動いた」と言っていました。
それまで日本は北朝鮮に一度も勝ったことがなくて、勝つことは難しいと思っていた方も多かったと思います。でも、皆さんの声援に後押しされて、北朝鮮に初勝利を上げ、アテネ五輪の出場権を手にすることが出来たんです。

坂本  アテネに行けるかどうかの瀬戸際の試合でもあったし、小野寺さんにとってみれば年齢的にも、オリンピックに関われる最後のタイミングだと感じていたんじゃないですか?

小野寺  そうですね。でもあの時は、「女子サッカーのために」というのが本当に大きかったです。自分のことよりも、「女子サッカーという種目自体が本当に消えてしまうかもしれない」という危機感が強かったです。ですからあの試合は、やっぱり生涯忘れられないですね。

現役引退後の生活

新たな目標を探して…

坂本雄次さん

坂本  今は大和市役所にお勤めになっていますが、今も運動は続けていますか?

小野寺  現役を引退してからは、体を動かすことや体調を整えることに意味を見いだせない時期がありました。「私は何のために運動しているんだろう…?」と思ってしまうんですよね。

坂本  目的、目標という部分ですよね。

小野寺  はい。治療院でマッサージを受けても、ふと、「何のために調子を良くするんだろう?」と思ってしまって。治療院の先生に、「もう手入れをする意味がないと思うんです」と言ったら、「真逆だよ!」と言われてしまいました。(笑) 「これからは、体を今までよりももっともっと大切にしてあげないと、何もできなくなっちゃう」と言われて、やっと納得して、今は、食生活に気をつけたり、週3回ぐらいはジムに通って運動しています。
サッカーをやっていた頃と同じような気持ちで、運動することを「楽しい」と感じられたらな、と思うんです。ちょっと体調を崩してしまったのもあるんですが、前のようには動けないですし、そういう自分にも嫌気がさして、走ってみても、「もう、やめた」となってしまうんです。
今日は、走りの魅力についても伺いたいな、と思って来ました。

坂本  走ることに関して言えば、私は、まったく競技経験がないんですよ。30歳の時、健康のために始めただけです。
ちょっと話が横道にそれるかもしれないですけれども、私は、毎年正月に鶴岡八幡宮というところに初詣に行くんです。そこでひいたおみくじが、中学から高校にかけて4年続けて「凶」が出たんです。毎回、「凶」なんです。(笑) そこに「あなたは人の何倍も努力して、初めて普通なのです。だから、常に努力を怠ってはいけません」という教訓が書かれていたのが忘れられないんですね。
始めは、走り方も分からないし、どうやったら長く走れるのかも分からない状態からスタートしたんですよ。ただ、私は人の何倍も努力しなくてはならない、ということを肝に銘じて、自分なりに学んで取得したことを、ひたすら何度も練習しました。つまり、ジョギングができるようになったらジョギングだけを、繰り返し、繰り返しやっていたんです。
ベタな話なですけれども、石の上にも3年、それを続けていくうちに、だんだん、ランニングそれ自体から、ランニングという窓を通して、ランニングの向こう側にある世界がいろいろと見えるようになったんです。たとえば、何かを習慣にする努力、継続することで力がついてくる実感、翻って、自分への自信など。そういう感覚が持てるようになったことが、ここまで続けてきた理由でしょうか。
小野寺さんは15歳から35歳まで現役を20年間やられてきて、それがリセットされたわけですから、まずモチベーションがなくなってしまったこと、そしてこれから自分が何を目指そうとしていくのか、迷う時期もあると思うんです。
でも今は、ニュートラルでいればいいのではないでしょうか。「私は、どうして走りが続けられないのかしら」とか、「運動することに対してどうして昔のように燃えられないのだろう」ということを、焦って考える必要はないような気がします。
15歳からやってきたことは、もう血肉になっているんですよ。ゲームのこと、一緒に闘ったチームメイト、指導者、クラブチームのこと、そういったものが全部すりこまれているから、今じゃなくとも、いつか絶対に、自然と自分の中から何か湧きだしてくるはずなんです。それが今まで親しんだサッカーに関することであれば、今度はサッカーという窓を通して見えてくる別の風景があると思いますよ。

小野寺  そうだと嬉しいです。

坂本  もうひとつ、これからサッカーをやりたいと思っている人たちにとっては、小野寺さんは雲の上の存在であり、憧れの人なのです。自分が目標にされる存在であることを、意識しておくことも大事です。

小野寺  ありがとうございます。
いろいろな方に、「20年やったサッカーと同じものは見つからない」って断言されるんですよ。それほど夢中になれるものは、「もう絶対にない」って。だからすごくがっかりしていたところなんです。

坂本  そうかな。それは、私は違うと思いますよ。確かに20年間は長いけれども、人生という尺度で見たら、残りのほうが長いわけです。
人生に「起承転結」とあったら、「起」、「承」の時期が過ぎて、これから「転」、「結」に入ろうとしているわけですから、そこが人間としては一番実りを多く実感できる年齢なんですよ。
私は今年で65歳になりますが、これくらいの年齢になると、先のことをカウントダウンするんです。残りの時間で、自分で何が出来るか考えるようになるんです。もう、体はボロボロで、こっちは人工股関節、肋骨は抜いてしまっている、腰にはボルトが入っているという状態でも、いまだに、そういう自分で今できるものは何かと思うわけです。
そう考えると、本当にうらやましいですよ。小野寺さんの場合はまだ残り時間が30、40年あるわけで、実は人間にとってその「時間」ほど大きい武器はないのです。
だから、これからの長い人生の中で、サッカーのこと、それ以外のことも絶対見つかりますから、今はまったくそんなことを考えたり、焦ったりする必要ないなという感じがします。

小野寺  わかりました。次に湧き上がってくるものを、楽しみにしていたいと思います。

女子サッカーの伝道者として

小野寺志保さ

坂本  大和市が今年から新設した「地域スポーツ・女子サッカー支援担当」になったんですよね。

小野寺  ええ。大和市に縁のある選手が3人ぐらい今の代表に入っているので、「大和市を女子サッカーの町にしよう」ということで、今年の4月に新設されました。ワールドカップの結果があったからこそ、「女子サッカーを中心に、スポーツで地域を活性化させよう」という気運が生まれたのだと思います。
具体的には、「第1回大和なでしこカップ」を、中学生は7月、小学生は10月に開催する予定です。

坂本  面白いと思いますよ。出場チームや出場選手の子たちに、モチベーションや技術を伝えられる機会ができたわけじゃないですか。将来的には全国のサッカー少女が目指してくるような大会にするとか、この大会をどうプロデュースしていくのか、楽しみです。

小野寺  それが当面の目標になりますよね。裏方に回って頑張っているところです。
現役時代は、ずっと自分が表舞台でプレーして、まわりにサポートしてもらう環境にいたので、切り替えるのがなかなか難しい…。(笑)

坂本  表と裏、両方で一対のものですからね。表舞台だけではなく、裏にも主役になれる舞台がありますよ。
22年前のことになりますが、富士五湖で行われた100キロマラソンに、たった13人の有志が来て走ったとき、私は、30数人のボランティアを引き連れて行って、そのイベントを支えてあげたんです。その時に、ボランティア達からひとり3万円ずつ徴収したら、みんな猛烈に怒りましたね。(笑)
「なんでお金を払ってまでボランティアをしなければいけないんだ!」って。
当日は、100㎞のマラソンコースに沿って、エイドステーション(※食べ物やドリンクを提供する場所)を移動しながら、皆さんが完走できるような裏方をしたんです。その晩、我々ボランティアは、ランナーからものすごく感謝されたんですね。そうしたら3万円出して怒っていたことなんかすっかり忘れてしまって、翌年には同じことを平気でやるようになるわけです。それは、相手の感謝の気持ちが伝わったからなんでしょうね。やったことに対して感謝される体験をすれば、裏方の楽しみを見つけられると思いますよ。

アスリートのセカンドキャリア

坂本  現役を引退して、4年目ですよね。今の立場になって、小野寺さんが女子サッカーについて思うところはありますか?

小野寺  引退後の人生についてなんですけれども、女子サッカーに限らず、アスリートのセカンドキャリアについて、非常に悩む人が多いと思うんです。
現役を引退して、完全に競技から離れてしまう人もいますけど、関わった全ての人が、いつになっても「女子サッカーのために」と思っていてくれたらな、という思いがすごくあります。

坂本  ランナーでも、そうですよ。「箱根駅伝まで走ったらもうやめちゃう」みたいな人が結構多いけれども、そうじゃなくて、その人がそこに行くまでに培ったものを何かのかたちで世の中に伝えてくれないと広がらないですし。せっかく皆さん知識も経験も技術もあるわけじゃないですか。それに近いことを、生業として持てたら長く続けられるでしょう?
ところが、今、その環境が日本は劣悪だから、せっかくやっていたのに皆さん、本当はやりたいことがあっても関係のないところの仕事しかできない。それが、日本がスポーツ後進国になっている一つの大きな原因ですからね。

小野寺  アスリートの側にも問題はあるとは思うんです。与えられた場所じゃないと自分の力が出せない、という部分は、反省するところです。
私が働いている大和市役所が、地域スポーツ・女子サッカー支援という担当を作ってくれたことは、全国的にも珍しい環境かもしれないんですけれども、私自身は、地元にも女子サッカーにも還元できる今の立場をとてもありがたく思っています。
今の現役の選手たちは、引退した私たちがどうしていくのか見ていると思うんですね。 私が、生まれ育った地元の市役所に入って、そこでサッカーに関わる活動をしっかりできているというのを見れば、「ああ、セカンドキャリアとしてその道もあるんだな」と思ってもらえるのではないかと思っています。

ロンドン五輪の活躍に期待!

坂本雄次さんと小野寺志保さん

坂本  外国の方と日本人って、体が違うでしょう。だから、そういハンディキャップを乗り越えて、日本の選手が外国のサッカーチームと対等以上に闘う秘訣は?

小野寺  日本の選手は相手の高さ、速さ、パワーでいつもやられ続けてきて、やっぱり、技術がないと絶対に太刀打ちできないです。同じものでは闘えないというのは、私がサッカーをする前からもう分かっていたことで、「そこをなんとかしようね」と、代表チームに集まればいつも同じ課題でした。
「でも、それに勝つにはどうしたらいの? やっぱり技術とか判断の速さ、そこを磨いていくしかないよね」と言い合ってきました。
でも、今のなでしこジャパンのチームというのはそれができます。ボールを奪われることがすごく少なくなって、自分たちでボールを持っている時間がすごく長くなってきています。それは、やっぱり下手だったら取られてしまいますから、技術が上がってきていることは間違いないです。

坂本  日本人の場合は、どの競技でも体の小ささがハンディになっているのですが、フォーメーションの研究や、敏捷性、粘り、技術などでしのいでいって、肩を並べていくしかないということですかね。

小野寺  そうだと思います。勝てるところで勝つしかないです。 もう一つ、勝ったことによって、選手たちはすごく自信をつけているので、今おっしゃった要素プラス「メンタル」ですね。そこが非常に強くなりました。「勝者のメンタリティ」、つまり、このチームには勝ったことがあるという経験は、気持ちの面で、相手より少し上回ってスタートできるんです。もちろん試合なので、途中で失点したりするとそれが崩れるときもありますけれども。

坂本  ロンドン五輪に関しては、小野寺さんはなでしこをどう見ているんですか。

小野寺  そうですね。「1回勝っている」という事が、どういうふうに出るのかなと思っています。いいほうに出る場合もあるし、真逆に出ることもありますから。
あとは、今までのように自分たちのプレーだけに集中している状況ではないので、大変だと思います。たくさんの方に見てもらっている事実や、取材などが日常に非常に増えてきていると思うので、そういった意味では、どれだけ集中して臨めるかというのが一つの勝負所だと思います。

坂本  そうなんですよね。期待が大きすぎて、マスコミが騒ぎすぎて過大にPRをしたりして、せっかくいい伸び方をしているのに、それが悪い方向に作用してしまうということもあるし、難しいですよね。

小野寺  でも、メディアに取り上げていただけなければ知らないままで終わってしまうので、いい関係で広めてもらえればいいなと思います。それと、見てくださる方には、本当にどんな結果でも応援し続けてほしいなと願っています。宜しくお願いします。
そして、女子サッカーが発展するためには何が一番大事かというと、やっぱり「なでしこジャパンの活躍」なんです。それが女子サッカーを知ってもらうきっかけになり、サッカーをやってみたいという子ども達が増えれば、全体的な底上げになりますよね。五輪での活躍を期待しています。

坂本  私も同じく期待しています。今日はありがとうございました。

「運動」と「食」について

こばたてるみ

公認スポーツ栄養士 管理栄養士・健康運動指導士
株式会社しょくスポーツ代表 こばた てるみ

3年間の銀行勤務後、スポーツ栄養の世界へ。日本初の公認スポーツ栄養士16名のうちの1人。現在、栄養サポートを行っている「清水エスパルス」をはじめ、競泳オリンピックメダリストやプロ野球、箱根駅伝選手など数多くのサポートを手がける。また、ビジネスマンやOLの方向けのヘルシー&ビューティーレシピの提案や、10日で3万食完売したスポーツ弁当をはじめ様々な商品開発、料理番組出演など幅広い活動を行っている。地域食材を使った料理と共にお酒を楽しむため、テニス、ゴルフ、ランニングで汗を流している。

骨太GKの鍵は“煮干しと魚肉ソーセージ”

  「なでしこジャパン」の愛称で親しまれ、ロンドンオリンピックでの活躍が期待されている日本女子サッカー。しかし、小野寺さんが日本代表の一員だった頃は、今ほど女子サッカーを取り巻く環境が充実していたとは言えないようです。というのも、仕事を終えて18:30~21:30 のチーム練習、さらに自主練を行って帰宅して夕食をたべるのはなんと24時頃だったといいます。そんな環境の中でも、約20年間トップレベルでサッカーを続けてこられたのは、煮干しで出汁をとったみそ汁をはじめ、実家で食べる手作り料理がカラダ作りを支えてくれたからとおっしゃる小野寺さん。食の大切さを実感してらっしゃいますね。
 サッカーのフィールドプレイヤーは持久力と瞬発力をバランスよく必要としますが、ゴールキーパー(GK)は鋭いシュートにも瞬時に反応することが求められる為、どちらかといえば瞬発力の方が重視されるポジションといえるでしょう。したがって、筋肉の主材料であるたんぱく質(肉、魚、卵、大豆製品、乳製品に豊富)を十分に確保することが大切です。小野寺さんが積極的に活用していたたんぱく質食材は、魚肉ソーセージ。グランドでも手軽に食べられる上、価格もリーズナブルなので魅力的な食材といえるでしょう。
 一方、試合や練習前には運動中の主なエネルギー源である炭水化物豊富なパスタやおにぎり、カップご飯やうどんなどを口にしていたといいます。環境面が十分に整っていなくても、工夫し賢く食べることで選手生活を長く続けられるのです。ぜひ皆さんも食事を工夫して選手寿命をのばしてくださいネ!

焼きアメリカンドッグ

今回は、サッカー選手の中でも瞬発力がとても必要なGKや、種目を問わず独り暮らしの選手、手早く調理をしたい選手におススメのレシピを紹介致します。これらのレシピの特徴は、値段がリーズナブルでそのままでも食べられる食材(納豆、豆腐、魚肉ソーセージ)を活用している点です。運動中の主なエネルギー源をパスタやうどん、ホットケーキミックスから、筋肉の主材料を納豆や魚肉ソーセージからとることができます。

<焼きアメリカンドッグ>

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坂本雄次プロフィール

坂本雄次さん

1947年神奈川県生まれ。
自身のダイエットのため始めたランニングをきっかけに、当時在籍していた東京電力で陸上部の監督を15年務め、素人の中からフルマラソンを2時間30分で走るランナーを数多く育成する。
1993年にマラソンの各種大会を企画運営する会社「株式会社ランナーズ・ウエルネス」を設立。
日本テレビ 24時間テレビ の「24時間マラソン」、「湘南国際マラソン」などの立ち上げに尽力。間寛平さんのアースマラソンのアドバイザーとしても完走をサポート。

AIMS公認距離測定員
国際スパルタスロン協会日本支部代表
一般社団法人日本ウルトラランナーズ協会(JUA)理事

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