坂本雄次の訪問!スポーツ人 vol.1 工藤公康さん

野球生活の原点は父親との葛藤

坂本雄次さんと工藤公康さん

坂本雄次 (以下坂本)
私は工藤さんが愛工大名電時代(当時の名古屋電気高校)に、紫色の帽子をかぶって、甲子園で投げているのをテレビで見ていたんですよ。あの時はベスト4まで行かれましたね。その後、あの工藤さんがプロに入られたんだとうれしかったです。

工藤公康 (以下工藤)
ありがとうございます。

坂本  愛工大名電以降のことはご存知の方も多いと思うのですが、それ以前のことは私たちもよく知らないですよね。野球が好きになった、野球をやっていこうというきっかけは何だったんですか。

工藤  私は野球が好きになったのは40歳を過ぎてからです。
プロに入ってからは「仕事」としてやっていましたが「野球が好きで野球をやってきて、野球選手になった」という人間ではないんですね。
小学校の時も、父親に「野球をやれ」と言われてやっていたんですが、いやだったんで途中で止めているんですよ。かといって、学校が終わって家に帰っても父親が機嫌が悪いとすぐ子供に当たるんで、体操部に入って、鉄棒にぶら下がったり、マット運動をやったり、暇つぶしをしていましたね(笑)

坂本  そうだったんですか。

工藤  夜は父親に「シャドウピッチングしてこい」「バットスウィングしてこい」って言われて、2時間くらい家に入れてもらえませんでした。「いいっていうまでバット振っとけ!」ってね。
父親もその頃、草野球でキャッチャーをやっていて、自分の練習代わりに息子たちに投げさせるんですよ。変なところに投げると、怒って帰ってしまって、一日暗い雰囲気の家で過ごさなきゃいけなかったんです。それが嫌で嫌で、早く上手になろうと、雑誌『ベースボール』でプロの選手が投げている分解写真を見て、上半身や下半身の使い方を研究しました。

坂本  中学時代は野球をやってらしたんですか。

工藤  中学時代は最初はハンドボール部でした。
夏の大会が終わると3年生が引退して1,2年生だけになるんです。私は肩が強くてボールも投げられたので、1年生でもレギュラーになれるくらいの実力があったんです。
ところがたまたま野球部とハンドボール部の顧問の先生が一緒だったんですね。その先生に呼ばれて「怒られるのかなー」と思って職員室に行ったらもう一人生徒がいたんです。 その生徒は野球部にいたんですが、ハンドボール部に入りたいと言い出したそうなんです。 それで小学校の時に野球で県大会に行ったことがある僕と強引にトレードされてしまったんです。家に帰って、奥の方にしまってあった野球のグローブを出して、次の日からしかたなく野球部に行きました。

坂本  中学の野球部時代にはそれなりに結果を出していたんですか。

工藤  はい。

坂本  愛工大名電は当時から名門だったでしょう。

工藤  そうですね。頭が悪いのでも有名だったんですけど(笑)野球は強かったですね。

坂本  プロを意識した時期はいつだったんですか。

工藤  甲子園に出てからですね。プロというよりは、社会人野球に行けば、自分の働く場所は確保できるんだろうなという思いでした。父親からも進められましたし。そうしたらドラフトで西武から6位に指名されたんです。最初はあまり気が進まなかったのですが、西武の根本陸夫さんがいらして、いろいろと話しているうちに、父親が「やっぱり、プロにいけ!」と言われ・・・うちの親父は「男には二言はない!」が口癖のくせに、すごくコロコロ変わるんです(笑)。

アメリカで目覚めたプロ意識

坂本雄次さん

坂本  工藤さんは何年現役生活を送られたのですか?

工藤  29年間です。

坂本  非常に長い年数ですねぇ。

工藤  私も最初から長いこと現役生活を送りたいと思っていたわけではなく、挫折からのスタートだったんです。プロでは1年目から一軍にはいましたが、当時の監督だった広岡達朗さんが言うには「工藤を二軍に置いていても、やる気がなくて、適当にしか野球をやらないだろうから、一軍に置いて使った方がいい」ということで、実力があったわけではなかったんです。

坂本  そうだったんですか。

工藤  プロ野球に入って、球のスピード、走るスピード、体力も違うし、パワーでは全くついていけなかったので初めは「なんでプロに入っちゃったのかな、もう一回ドラフトの前に戻して!」と思いました(笑)

坂本  結果を残さなければならないのがプロの世界ですが、貪欲に取り組むようになった時期やきっかけはあるんでしょうか。

工藤  3年目にアメリカに野球留学に行きました。カリフォルニアリーグの1Aのサンノゼビーズというところで、球団がお金を出して派遣するというシステムでした。
日本の野球は1年契約で、高校を卒業してプロに入ると少なくとも5年間は面倒を見てもらえると言われていたんです。でもアメリカでは、選手たちは10日や2週間くらいでクビになることもあるんですよ。クビになると新しい選手が入ってきて、新しい人が入ると余分な人はまたクビになって…。「なんて厳しいんだろう」と感じました。私はアメリカでは抑えのピッチャーだったんですが、当然自分が入ると余分な抑えのピッチャーはクビでした。
「クビになったあとどうするの」と聞くと「もう一度練習して、トライアウトを受けて、俺は絶対アメリカンドリームを手に入れてやるんだ」と、夢を持ってやっている選手が多かったです。
彼らと接して、日頃の精神的なモチベーションや、自分の夢をあきらめないなど、いろいろと学ぶところがありました。

坂本  日本の土壌とはかなり大きなギャップがあったんですね。

工藤  全然違いましたね。
メジャーは選手を育てる場所ではなくて、環境だけ与えられて「育てばメジャーに行ける」という仕組みです。そこで結果が残らない、自分で考えてやれないとみんな辞めて行くんです。アメリカのコーチは聞かれない限り何か教えることはしません。アメリカでは、メジャーがあって3A、2A、1A、場合によってはルーキーリーグがあったりします。待っていれば選手が育ってくるからいいのですが、日本は一軍と二軍しかないですから、待っていられないんです。だからどうしても教えてしまうんです。
それでコーチが選手にいろいろと教え過ぎて選手がおかしくなっちゃうということもあるんです。もっと資金があって、三軍も作って、独立採算制でしっかり運営ができればいいんでしょうけどねぇ。そういうことが日本の野球界はあまり頭にないんですね。

坂本  アメリカに行って、野球観が大きく変わったんですね。

工藤  変わりましたね。向こうの選手はパワーもありましたから、自分に足りない部分だと思って、ウェイトトレーニングの量を増やしました。走るのもそれまではやらされているという感覚でしたが、自分からやるようになりました。

坂本  ピッチングコーチの宮田征典さんとの出会いも大きかったんじゃないですか。

工藤  そうですね。3年目のシーズンが終わってから宮田さんがコーチで来られました。「速い球を投げるには投げ方があるんだ」と、踏み込みの仕方や、下半身の使い方のアドバイスを受けました。そして夜はウェイトトレーニングを目いっぱいこなすというメニューをそのオフのシーズンずっとやっていました。
宮田さんの指導とウェイトトレーニングの成果で、10キロ球は速くなって、先発になることができました。

29年間の現役生活の秘訣は?

「努力」と「根性」

工藤公康さん

坂本  29年間、日本のプロ野球のトップで戦ってこられましたね。それは何かが一つだけ秀でているだけでは続かないと思うのです。体、メンタル、技術を29年間の長い現役生活の中で維持し続けられた秘訣は何だったんでしょう。

工藤  努力と根性でしょうか(笑)プロ野球って、どんなに素質があったとしても、精神的なタフネスさがなければ続かないんですよ。年齢が上がれば上がるほど、体力は落ちて行きますよね。自分の能力だけでは限界がありますが、でも「もうだめだ」と思ったところからどう練習するかなんですよ。そこで「根性」がとても必要になってくるんです。
「根性」なんて言うと理論的じゃないし、古臭いと思われるかもしれませんが、体力が落ちてきたところから、どれだけアドレナリンを出して、どれだけ自分の体を動かすことができるかで、その人間の潜在能力が上がると思うんですよ。そこを若いうちにやっておかないと、30歳を過ぎてから体力がどんと落ちて急に体が動かない、ボールが見えなくなる、打率も上がらない、一生懸命投げていても打たれる、ということになってしまうんです。

坂本  精神的なタフネスさが重要というのは、経験として実感されたのですね。

工藤  今はポストシーズンといって、オフシーズンの12月、1月はユニフォームを着てはいけない、コーチが教えてはいけないという時期になっています。
昔そういうのがなかった時代は、12月27日まで練習をしていました。そして1月4日の朝の新聞に広岡監督が「寮生が帰ってきていない」とコメントを出すんですよ(笑)。4日の朝の新聞に出ているということは、3日までに帰ってこいということなんですが(笑) そして1月10日から合同自主トレが始まるんです。

坂本  そうすると当時は1週間しか休みがないんですね。

工藤  10日の自主トレのしょっぱなにみんなユニフォームを着てグラウンドに立つんですが、ウォーミングアップが2時間でした。何をやるかっていうと100mを100本です。

坂本  10kmですね!ダッシュですよね。

工藤  ランニングの10kmを合わせると、1日で20kmは走っていました。ランニングを1時間、ランジやサイドステップなどの強化を1時間、さらにピッチングを1時間やらなければならないので、ガクガクになってボールを投げられないんです。1時間のピッチングで160~200球くらい投げるんですよ。それを4日間毎日投げて1日だけ休むの繰り返しでした。まだキャンプ前なんですよ。キャンプに入ったらまた同じことを繰り返す毎日ですよ。
要はそこまでやっても壊れない人だけが生き残った世界だったんです。私より球が速くて変化球も持っていて、足も速い、能力的に高い選手はいっぱいいました。でもみんな壊れていきましたからね。それからブルペンではいい球が投げられても、試合ではどんどん打たれてしまう選手もいました。そういう人たちは二軍に行ってしまいましたね。

坂本  体を酷使して、生き残った人だけが一軍のレギュラーで、試合に出て行くんですね。

日々の積み重ね

工藤  それから、44、5歳まではトレーニングの量も減らさないようにしていました。若い時には2時間でできた練習量を、45になってできないのであれば、倍の4時間かけてこなすようにしました。

坂本  時間をかける分、疲労の回復にも時間かかかったりしませんでしたか。

工藤  なかったです。
最初のベースが高ければ高いほど、多少体力が落ちてきても自分で気付いて、そこでまた元の位置まで戻すのは時間がかからないんですよ。最初のベースを上げる努力をしていないと、体力が落ち始めた時に戻すのが難しいんです。それでみんな33、4歳で止めて行くんです。元々のレベルが高ければもう10年現役を続けられることもあるんです。

坂本  最初にお父さんと野球の話がありましたね。自分はプロ野球の選手になりたいと思ったわけではないとおっしゃっていましたが、40歳を過ぎてから野球を好きになるのは何か機会があったんですか。

工藤  グラウンドに行くのがしんどかったのが、行くのが楽しくなってきたんです。いつもグラウンドに行くと「今日も練習だ」「投げなきゃいけない」と思っていたんです。でも毎日投げるために、朝起こしてもらわなくても勝手に起きて、グラウンドに行って、着替えて走っている、そういう自分が好きになってきた時に「俺ってもしかして野球が好きなんじゃないか」と感じ始めたんですよね。

プロとして生きるための自覚を伝える

工藤公康さん

坂本  野球をやるということでは大学生でも、社会人も同じでしょうが、チームとして結果を残していくのは、アマチュアとプロとでは意識が違うでしょうね。

工藤  アマチュアレベルと、プロで活躍できるレベルは大きく違うんですよ。 西武から移籍した時に、ダイエーの選手は、負けてもみんな何とも思ってなかったんです。西武は強かったですが、ダイエーに行ったら弱い、なぜか。練習しない、走らない、投げない。負けてもヘラヘラしている。
負けても「今日どこに飲みに行こうか」なんて笑いながら話している若い連中がたくさんいたんです。そういうのを「試合に負けて何が飲みに行くじゃ!」ってどつきまわしました(笑)
練習も辛い、試合の中でもぎりぎりのプレーをしなくちゃいけないという状況に、お客さんも魅力を感じて見に来てくれるわけです。ダラダラやっていても誰も感動も覚えないし、面白いともすごいとも思わないはずなんですよ。
個人的にいえば本人が悪いわけではなく、コーチや監督も含めて、そういう環境を作った今までの人たちが悪いんですよ。30歳、40歳になった時に、今からダラダラやっているのを直そうとしても直せないんです。だからそういう厳しさは、どんなに嫌われたとしても最初に教えてあげないと、彼らのためにもならないですからね。だからけっこう暴れましたねダイエーの時は(笑)

坂本  それまでの経験から、工藤さんに若手にプロ意識を伝えたいという気持ちがあったんですね。

工藤  そうですね。西武がそういう球団でしたからね。西武では負けて帰るバスの中でしゃべる人間は一人もいなかったですね。しゃべると先輩に殴られましたからね。

坂本  そうだったんですか。先輩後輩の規律というのがチーム全体の士気にかかわって、成績にもつながってくるんですね。

現役生活を支えた食の秘密

肝機能障害をきっかけに食生活の改善

坂本  工藤さんがプロに入られた後、お酒で肝機能障害になられたそうですが、その時に今の奥様と一緒に体質や生活の改善に取り組まれたんですよね。

工藤  毎日シジミのみそ汁でしたね。お皿にいっぱい山盛りにシジミが出てきました。 でも一番最初に妻がしたことは、かかってくるお酒の誘いの電話を全て切ることでした(笑)「今の誰?」って聞くと「間違い電話よ」と(笑)「最近間違い電話多いなぁ」と思ってました。
肝機能の方は再検査の繰り返しでしたね。「ほっといたら死ぬよ」とまで言われました。完治に8年かかりました。
妻は生活の改善のために、食関係の体のコンディショニングを担当してくれました。学校にも通ったりしましたが、ほとんどは日々の実践で身に付けたようです。きっかけは私の肝硬変を治すことでしたが、やがて妻が、野球で勝つためにはどんな食材がよいか、試合前と試合後の食事内容、勝ったときと負けたときの食事の色合いまで細心の注意を払うようになりました。大切にしたのは、お米、お水、たんぱく質(魚、肉、卵)、緑黄色野菜の質と調理バラエティーと、ごはんを美味しく食べる雰囲気です。食べかたは食べものと同じくらい大切だと思っています。みんなで鍋を囲んだり、たこ焼きパーティーをやったり。また、試合で負けた日は、夜だけどピザをとって夜食を楽しんだりしたこともありました。

食生活は先人に学べ

工藤公康さん

坂本  具体的に、野球に必要な動きのために食生活で大事にしていることは何ですか。

工藤  野球選手にとっては、【瞬発力】も【筋持久力】も絶対的に必要なものです。
野球選手がボールを投げて毛細血管が切れてしまうことがあります。その毛細血管は再生はしないかもしれないけれども、違うところから伸びて行くので、毛細血管の数を増やしていくためには、持久系のトレーニングでしか毛細血管は発達していかないのです。 また、野球選手はシーズンのスパンが長く、瞬発力だけだと回復は早いけれども長くは持たないので、筋持久力も必要になってきます。
その【瞬発力】【筋持久力】を鍛える食事は、どんなサプリメントよりも、日本人が古来から摂ってきた食事が一番です。ごはん食はもちろんのこと、豆、胡麻、野菜、椎茸、ワカメ、魚など。特に和食には良質なたんぱく質が含まれていますね。それから旬も大切です。美味しいものは美味しいときに食べてこそですね。
日常のランニングの際に必ず持参するのが、梅干し入りのおにぎりです。一汗流したあとに、お腹が空になると、でんぷん質が無性に食べたくなります。健康的に、無駄なく効率よく食事をとるには、このようなタイミングも大事です。実は、これも、昔の人が朝起きて、まず農作業をしてから朝食をとっていた生活スタイルそのもので、先人に学ぶことは大きいですね。
朝のランニング後、このおにぎりと一緒に必ずとるのが、汁物。昆布、干し椎茸、鰹節にいい塩を振って飲む出し汁。出し汁はアミノ酸に負担をかけずに吸収されるので自分本来の身体を呼び覚ます効果があります。汁物という意味では、ほかにも、ハーブティー、人参ジュース、リンゴジュース、トマトジュース、青汁などを一緒にとっていました。すべて妻のお手製です。コツは、完全100%。汁だけでなくすりおろしたカスも入れる。飲み慣れないとかなりきついですよ。口から食道、胃、腸とジュースが体内に入っていく過程が実感できるようにするのがポイントです。
こういった知識は妻の受け売りです(笑)全部そういうのを教えてもらいました。

坂本  29年間選手生活を続けてこられたのには、奥様の支えも大きかったのですね。

試合に臨むための食事法

工藤  現役時代は、登板の前は、なるべく胃に負担をかけないようにステーキのような肉は避けていました。でも、日本シリーズや首位決定戦などマッタナシの勝負のときは、動物的本能を予備さますためにあえてステーキを食べたりしましたね。実際、西武時代、15勝3敗、防御率2.06と生涯最高の数字を出したときは、ステーキがその勝負フードでした。
若い頃は新陳代謝もよかったですし、投げ終わったら肉を食べたりしてカロリーを摂ってもある程度は運動で消費できていましたが、年齢が上がってくると、今度はあまりカロリーをとり過ぎないようにしました。食べ過ぎると、内臓も筋肉なので、疲れちゃうんですよ。では、内臓を休めるにはどうしたらいいかというと、食べないようにすることなんです。

坂本  長く現役生活をされていると、そういうことは重要でしょうね。

工藤  試合前、4時半くらいに唐揚げやラーメン食べて、6時から試合だと、まだお腹の中に残っているんですよね。お腹の中にものが残っているとそれを早く消化吸収しようとするから、血液がお腹に集まるんですよ。そうすると他の筋肉に回る血液が減って、激しい動きをしたら怪我をしますよね。それから頭に行く血流も減るんで、集中力も欠く、そのまま試合に出てもいい状態ではないですよね。
そういうケアをして、選手生活を長く続けさせて、怪我をなるべくしないようにさせるということは大事だと思います。

坂本  野球教室でも食のお話も一緒にされるんですよね。

工藤  子どもたちだけでなく、親御さんや指導者の方がいるところでそういう話をします。
親御さんには、【日本人の古来からの食事がいちばんの栄養と元気につながる】として、例えば、【おむすびだったら梅干しにしましょう】とか、【試合の前には脂っこい食べ物はダメ。試合後のお楽しみに】などと伝え、家庭の食卓で生かしていただくようにしています。

ロンドンオリンピックの注目選手

坂本雄次さん

坂本  今年ロンドンオリンピックがありますね。今回は野球やソフトボールはないのですが、工藤さんが何か注目されている競技や選手を教えて下さい。

工藤  レスリングの浜口京子選手や、吉田沙保里選手ですね。自分は野球の一流選手よりは、オリンピックに出て金メダルを取る選手の方がすごいと思っています。そういう人たちがもっと日の目を見る機会が増えればいいなと思いますね。もっとオリンピックで勝ったアスリートたちのステイタスをあげるためにも、金メダルを取った人たちには、自分たちの技術を伝えるアカデミーを作れるくらいの資金を国が出してもいいんじゃないかなと思います。

坂本  日本はそういうところは貧困な気がしますね。オリンピックに出るまでは、選手個人の負担が大きく、国は経済援助もせずに環境も整っていない。メダルを取ればマスコミで脚光は浴びますが、オリンピックが終わった後のセカンドキャリアまでは面倒見てくれないですよね。

工藤  例えばレスリング一つで国民が喜んでみんなに勇気を与えているというのであれば、その次の世代の人たちのことを考えて、メダルを取った選手に育ててもらえば、もっと強い選手が出てくるかもしれませんよね。そうしてスポーツがどんどんステイタスをあげていくといいですね。一芸に秀でるというのは、何も頭がよくて会社の経営をしている人たちだけではなく、スポーツで一つのことに秀でるのも同じことなんだよというぐらい評価してほしいですね。
もし自分にお金があったら、オリンピックに出るなど日本で活躍した一流選手を集めて、一つの大きなアカデミーを作って、そこに子どもが来れば、いつでもどんなスポーツもできるような施設にしたいですね。そういう場所を全国に作りたいですね。

坂本  スポーツを楽しめる場所がもっとあるといいですよね。

子供たちへの体作りを通して野球界を盛り上げたい

坂本  工藤さんは現役生活を離れたわけですが、今度は新たに、子どもたちが野球をする環境の改善をされたいそうですね。

工藤  現役の頃から野球教室をやっていたのですが、子供たちが肘が痛いとか肩が痛いという声を、いろんなところで聞いていたんです。
今の時代は野球に関する情報はたくさんあるのに、故障が減らないのはなぜだろうと思ったのです。そこで投げ方などを野球教室の中で伝えるだけでなく、自分の知識だけでは足りないところは整形医学の先生のところに行ったり、野球に関するデータを集めている専門の先生のところに行って話を聞いていました。すると、野球をやっている人の7割5分の人たちは、小中学校の間に肩や肘を痛めたことがあることがわかりました。
今、小学校や中学校の野球の環境が厳しいんですね。小学校で年間に120とか130試合やるチームもあるんです。

坂本  そんなに試合するんですか。

工藤  中学校でもそうですよ。学校の部活ということではなくて、全国の各地区にチームがあって試合をするんですが、土日は1日で3試合こなすこともあるそうです。試合をすることでいい経験にもなりますが、そんなにたくさん試合があると、ピッチャーは一人や二人だけというわけではないでしょうが、球数を投げなければならないから、それで壊れていく子も多いんです。それをどう防いでいくかというところも整備していきたいんです。そうでないと、子どもたちがプロ野球を目指していても、途中で挫折していくということが非常に多くなってしまうんですよ。

坂本  それは故障をしないような練習の仕方や、小学生の選手に合わせた指導をするなど、もっと環境が改善されて行くといいですね。

坂本雄次さんと工藤公康さん

工藤  今はテレビに出て、顔と名前をみんなに忘れられないような状態を作っていますが、一番の目的は野球教室を開いて、トレーナーにも入ってもらってコンディションを整えてもらったり、野球の道具に親しんでもらったり、子どもが野球をやりたくてもお父さんがキャッチボールをできなかったら、お父さんにキャッチボールを教えたりしていけたらいいなと思っています。
それから、野球をうまくなるために野球だけやっていればいいとは思っていないんです。野球だけではなくサッカーなど他のスポーツをすることで、子どもたちの体が健康であればいいなと思っています。

坂本  私は野球に関しては素人ですが、今日お話をうかがって勉強になることがたくさんありました。

工藤  自分もまだまだ勉強しなきゃいけないと思っています。

坂本  今日は中身の濃いお話をありがとうございました。

「運動」と「食」について

こばたてるみ

公認スポーツ栄養士 管理栄養士・健康運動指導士
株式会社しょくスポーツ代表 こばた てるみ

3年間の銀行勤務後、スポーツ栄養の世界へ。日本初の公認スポーツ栄養士16名のうちの1人。現在、栄養サポートを行っている「清水エスパルス」をはじめ、競泳オリンピックメダリストやプロ野球、箱根駅伝選手など数多くのサポートを手がける。また、ビジネスマンやOLの方向けのヘルシー&ビューティーレシピの提案や、10日で3万食完売したスポーツ弁当をはじめ様々な商品開発、料理番組出演など幅広い活動を行っている。地域食材を使った料理と共にお酒を楽しむため、テニス、ゴルフ、ランニングで汗を流している。

29年のプロ野球人生を支えた食

 多くの人を魅了してやまないプロ野球の世界で、29年もの間トップを走り続けてきた工藤さん。本人の努力と共に不可欠だったのが、奥様の作る日本の伝統食材を活用したお料理の数々。とかく、筋肉隆々のプロ野球選手をみて「筋肉をつけるためにはお肉!」と思っている方が多いのですが、実は工藤さんのように「ご飯、豆、魚、野菜、海藻、きのこなど」もしっかり食べることが大切です。その理由は、
(1)豆や魚には筋肉の主材料であるたんぱく質が豊富な上、たんぱく質代謝に欠かせないビタミンB6も多い
(2)しっかりした筋肉をつけるためには丈夫な骨・骨格づくりが欠かせず、野菜や海草・きのこにはその原料となるカルシウムが豊富
(3)ご飯やパスタの摂取量が少なく運動中のエネルギー源である糖質(筋グリコーゲン)が不足していると、筋たんぱくをエネルギーとして利用するため筋肉量の減少を招きかねない
(4)豆や魚、胡麻にはお肉に含まれる脂(飽和脂肪酸)以外で、カラダに必須の油(不飽和脂肪酸)が豊富
が挙げられます。工藤さんが積極的にとっている旬の食材の活用も、野球少年少女、スポーツ愛好家が見習いたい点です。ぜひ皆さんも、工藤さんのように食に対する意識・実践力を高め長く動けるカラダを手に入れましょう!

レタス納豆パスタ

瞬発力と筋持久力が必要な野球選手には、たんぱく質とビタミンB6が一緒にとれるパスタがオススメです。

<レタス納豆パスタ>

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坂本雄次プロフィール

坂本雄次さん

1947年神奈川県生まれ。
自身のダイエットのため始めたランニングをきっかけに、当時在籍していた東京電力で陸上部の監督を15年務め、素人の中からフルマラソンを2時間30分で走るランナーを数多く育成する。
1993年にマラソンの各種大会を企画運営する会社「株式会社ランナーズ・ウエルネス」を設立。
日本テレビ 24時間テレビ の「24時間マラソン」、「湘南国際マラソン」などの立ち上げに尽力。間寛平さんのアースマラソンのアドバイザーとしても完走をサポート。

AIMS公認距離測定員
国際スパルタスロン協会日本支部代表
一般社団法人日本ウルトラランナーズ協会(JUA)理事

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