坂本雄次の訪問!ウエルネス人 vol.11 西村知美さん

西村知美さん

1 これまでのマラソン体験を振り返る

坂本雄次さんと西村知美さん

坂本雄次 (以下坂本)  2002年の24時間テレビのチャリティマラソンから10年経ってるんですね。

西村知美 (以下 西村)  娘が生まれる前の年だったので、忘れられないですね。チャリティマラソンを走ったのが夏で、その年の年末に子どもができたというのがわかったんです。

坂本  知美ちゃんが24時間マラソンのランナーに決定したのは、ずいぶんぎりぎりだったんですよね。

西村  そうですね。決定は6月末だったんじゃないでしょうか。それでもトータルで200キロ以上は走ってますよね。

坂本  はい、走ってますよ。

西村  最初はすごく不安でした。1キロも走らないうちにへばってしまって「坂本先生、こんなことで大丈夫でしょうか?!」と言ったのを覚えています(笑)

坂本  富士五湖で練習した時に、河口湖畔から、西湖の方まで、その時はかなり長い距離を走ったんですよね。

西村  確か24キロ走ったのを覚えてます。

坂本  そうです。約10キロ、河口湖を半周回って、そこから西湖の方に行くのに峠があったんです。けっこうきつい坂で、上りきって休憩所があったんですが、そこで知美ちゃんがぽろぽろ泣いたんですよ。

西村  つらくてつらくて、今思えば「これのあと4倍か!」と思ったんでしょうねぇ。「大丈夫かなぁ」と不安に思いました。 本番で、坂本先生が一緒に走って下さらなかったら、ゴールできなかったと思いますね。練習の時からずっと、私の場合はペース配分だけでなく、話し相手にもなっていただいて、精神的な面でもフォローしていただきました。

坂本  でも知美ちゃん、本番でスタートしてから調子に乗ってしまって(笑)。ガンガン飛ばしたから「このままでは絶対つぶれてしまう」と思ったので、怒ってたんですよ。

西村  先生はペース配分を考えてくださっていたのに「最初に貯金をしなきゃ絶対後半に続かない」と思って、スタート直後に「私のペースでやらせてください!」と言って飛ばしたんですよね。案の定、30キロのあたりでガクンとペースが落ちました。あれは一生の後悔ですね(笑)「最初にがんばって走れば、あとは余裕」なんて考えていたんです。

坂本  フルマラソンでも、100キロ走るようなレースでも、自分の体の状態を上手に小出しにしていかないと、最後まで行けないから、全体を見て今どういう風にするかというのはとっても大事ですね。

西村  そうですね。非常にいい勉強になりました!

走る喜び

西村知美さん

西村  20歳の時に、初めてホノルルマラソンに挑戦しました。マラソンが学生の時から大嫌いで(笑)、でも、24時間マラソンなどゴールの瞬間は、毎回泣いてしまうんですよ。 「見ている私がこれだけ泣けるということは、走ったらどれだけ感動するんだろう、食べず嫌いと一緒で、体験してみなければわからない」と思い、それで20歳の記念に、あえて嫌いなマラソンに挑戦しました。本番は、終盤の41キロまではずっと後悔でしたが(笑)、なぜかゴールした瞬間、次のマラソンの目標が決まるんですね。 

坂本  不思議でしょう。 

西村  不思議ですね。これだけ世の中にマラソン好きな人がいるのがわかりましたね。7時間20分51秒で完走し、終わった後に打ち上げがあったんですが、ランナーの人たちと一晩中おしゃべりしました。走っている間、一人一人にドラマがあるのがわかりましたし、自分の体験を語るのがすごく楽しかったです。それで3年後にもう一度走りました。 その後24時間マラソンで100キロ走って、せっかく体を作っていただいたのに、このままではもったいないと思って、同じ年にニューヨークシティマラソンに参加しました。プライベートで走った中で一番楽しいマラソンでした。

坂本  24時間マラソンが終わったのが8月で「11月のニューヨークシティマラソンに行きたいんです」とチャレンジされて、完走したんですよね。

西村  右ひざを故障していたので、最後は引きずりながらのゴールだったんです。6時間32分39秒で完走しました。ニューヨークシティマラソンはボランティアの人はフレンドリーだし、コースが同じ道でないので、観光しながら走れるのがいいですね。

坂本  アメリカのマラソンは、大会の受け皿や大会に関わるスタッフのもてなし方も日本と雰囲気が違いますね。

西村  11月だったので、参加者のみなさんは上着をいっぱい着ているのに、スタートする時にばっと脱いで走りだしたんです。スタート地点は足の踏み場がないくらいに、洋服で埋め尽くされるんですよね。私は心の中で「マナーがなってない」ってショックだったんですよ。でもあとで、その洋服はボランティアの方が集めて全部クリーニングして寄付されるのだと聞いて「なんて心の温かい人たちが多いんだろう!」って感動しました。

坂本  やることがしゃれてるよね。

西村  マラソンは、ただ体力や健康だけではなくて、人とのつながりを感じるのが不思議ですね。そういえば、世間はマラソンブーム。全国各地でいろんなマラソンが増えていますよね。温泉旅館の浴衣を着て、途中で足湯につかりながら走って、エイドステーションにはスイーツが並んでいるような大会もあるんですね。楽しみながら走ることができる大会も増えました。

坂本  今はいろんな大会がありますが、知美ちゃんが24時間かけて走った100キロを13、4時間で走る人たちがいる大会もありますね。速い人は100キロを6時間台で走ります。そういう人は尋常じゃないですよ。人間て限界があるようでないかもしれないですね。

西村  「限界は自分で決める」っていいますものね。

坂本  短距離は記録を縮めるのは難しいんですよ。でも長距離はそうでもなくて、今フルマラソンで一番早いのは2時間3分台ですね。今後もう少し記録は早くなるんじゃないでしょうか。つまり人間は、まだまだ潜在能力を持っている生き物だということですね。

2 資格取得を通して得る人生の体験

資格取得にチャレンジする、その理由とは?

西村知美さん

坂本  知美ちゃんはよくいわれるのが「資格魔」ということで、40個近くの資格をお持ちですよね。そもそも、資格を取るのに興味を持つきっかけはあったんですか。

西村  一つの人生の中でいろんな体験をしたいんです。私は、たまたま姉が応募したのがきっかけで受かり、芸能生活を送ることになったのですが、あまり目標を持てないまま、なんとなく20数年来てしまいました。資格取得を通して「何か私にできることはないか」って天職をずっと探している状態なんですよ。(笑)また、仕事のジャンルや年齢も違ういろんな方とも出会いますし、新しい情報が入ってきて、そこからまた違うことに興味がわいてくるんですよね。
資格を取っている中で3つテーマがあるんです。 一つは「今必要じゃなくても、将来必要になるもの」です。着付けやホームヘルパー2級がそれです。それから「趣味」。花火観賞士や温泉ソムリエなど、自分が大好きなものについての資格です。そしてもう一つは「自分が苦手なもの」です。運転が苦手なので、1級小型船舶操縦士の資格にチャレンジしてみました。料理関係の資格が多いのも料理が苦手だからなんです。ちなみにマラソンも私の中の苦手なものの一つだったんです。

坂本  なるほどねぇ。これだけたくさん資格を取って、何か活用できていることはあるの?

西村  手話は、耳の不自由なお友達がいるので、会った時に使いますね。英語と一緒で使わないと忘れてしまうんです。それから飾り巻き寿司インストラクター1級は、子供の運動会の時に大活躍しています。また、温泉が大好きなので、温泉ソムリエの資格を取ったことによって、仕事で温泉に行った時に成分表をチェックして「美白効果がある、肌にいいのね」とわかるようになり、楽しみが倍増しました。「おもちゃコンサルタント」の資格も取ってよかったと思います。身近にあるものでおもちゃを作るということを学びました。

坂本  最近取得されたものに、「温泉マイスター」というのがありますね。今準備中の自宅は温泉が出るので、ぜひ知美ちゃんに分析表を見せたいですね。硫黄泉なんですよ。

西村  いいですねぇ。硫黄泉は、三大美白の湯に入っている効能ですよ。

これからチャレンジしたい資格取得

坂本  これから取ってみたい資格はありますか?

西村  昨年震災がありましたし、娘という守るものもいますので、「防災士」にチャレンジしてみたいですね。実際に地震があった時に、あわててしまい、必要もないのに帽子を3つもカバンに入れていたんです。いざという時のためにちゃんとした知識を持っていたい、何か人のために役に立つ資格を取りたいと感じました。

坂本  阪神淡路大震災や、今回の東日本大震災の被害に遭われた方の話を聞くと、それまで自分が本や新聞や映像で見ていたものと、その場にいてリアルに体験するのとでは人間の心理状態もずいぶん変わるそうですね。「なんにもできない」というのはよく聞きますね。 もし東京で大きな震災があったら、サバイバルの生活になる可能性がありますから、知美ちゃんの考えはすばらしいですね。あと、芸能人の方は、仕事の現場から仕事の現場へ移動するだけで、世間一般のことってなかなか触れる機会がないですよね。これだけの資格の勉強をしていると、芸能界とは違った普通の生活で経験できることを学んでいるのではないでしょうか。

西村  14歳に上京し、この世界に入って仕事をしているので、ひとりで電車も乗れないくらい、何もできなかったので、なるべく娘との生活の中では電車やバスに乗って、みんなと同じような生活をしたいというのはありましたね。 ところでマラソンに関しての資格というのもあるんですか?

坂本  ありますよ。

西村  そうなんですか?取ってみたいですね。

坂本  紹介しますからぜひチャレンジしてみてください。

3 家族とのひと時

愛娘・咲々ちゃんとの交流

坂本雄次さん

坂本  知美ちゃんは女優さんをしながら母親と、妻と、1人何役もやっていますよね。

西村  手抜きのオンパレードなんですが(笑)

坂本  2003年に出産されて育児をしてきて、母親として心がけてきたことはありますか。

西村  仕事に復帰したのが早かったので、娘と離れている時間が長かったんですよね。その分、娘とのスキンシップや言葉をかけるというのは、人の10倍も20倍もするように心がけていますね。毎日のように娘をぎゅーっと抱きしめたり、チューしたり(笑)「どれだけあなたのことを愛しているかわかる?」ということは、まだ言葉が通じないような小さい時から言ってきました。「家族に言葉はいらない」とも言いますが、やはり言うにこしたことはないと思います。言いすぎて娘は飽きちゃっていますが(笑)

坂本  大事なことだよね。

西村  自分にも言い聞かせているという意味もあるんです。

坂本  娘さんは公立の小学校に通っていらっしゃるそうですね。娘さんのお友達や、親御さんたちとの交流の中で何か気をつけていることはありますか。

西村  お母さん同士の情報ってとても大きいので、なるべく交流の機会は持つようにしています。

坂本  今は昔より子供の数が減っているから、クラスも少ないんでしょう。

西村  そうなんですよ。学年で一クラスという学校も多いですよね。1年~6年までクラスが変わらないというのは、子ども同士も親同士も深い付き合いができますよね。

坂本  娘さんがこれからどういう風に成長していくかというのが楽しみですね。

西村  娘には、いつか世界中の皆さんが何の壁もなく、オールマイティに楽しんでいただけるようなお仕事をしてもらいたいなと思います。

食べ物の好き嫌いなく育てたい

坂本  娘さんの食生活で何か気を配っていることはありますか。

西村  いろんな食材を食べさせていますね。赤ちゃんの時は、「最初が肝心」と気をつけました。普通は、赤ちゃんにはジュースは酸っぱくないリンゴジュースから飲ませるんですが、そうするとそのあと酸っぱいものが飲めなくなってしまうと聞いたことがあり、いきなりグレープフルーツジュースから飲ませました。最初からパクチ-、ゴーヤ、梅干し、塩辛と何でも食べさせたので、今は好き嫌いがない子どもに育ちました。

坂本  子どもの食育については、好き嫌いがないように育てているということなんですね。

西村  それから野菜などもあまり手を加えずに、なるべく薄味で、素材の味を生かす料理を食べさせています。あと、栄養面からみて、これはすばらしい食べ物だな、と思うのが、「お好み焼き」です。お皿ひとつで、野菜も、お肉も、お魚も、卵など、必要な栄養素をまんべんなく全部とることができますよね。家族で、楽しく食卓を囲めますしね。
子育ては毎回実験のような感じですよ。結果はまだまだはるか先なんですが、何が成功なのかもわからないので、娘が「パパとママの子どもに生まれてよかった」と思い、私が死ぬ時に娘が「ありがとう」と言ってくれるかどうかで決まるのかなぁと思いますね。

料理人として活躍するご主人のこと

坂本  ご主人は元アイドルの西尾拓美さんで、今は料理人ですが、お元気ですか?

西村  毎日、レストランの仕事で、朝帰り。バリバリとやってますよ。

坂本  ご主人は家でも何か料理はされるんですか。

西村  毎日仕事で何百人もの料理を作っていると、家に帰ってまでやりたくないというシェフの方が多いようなんですが、主人は昔から料理が好きなようで「あれが食べたい」とリクエストすると「いいよ!」って何でもすぐ作ってくれて、とてもありがたいです。作れないものはないですね。

坂本  ご主人が料理の方に移るきっかけは何かあったの?

西村  もともと主人の中で夢が3つあったそうなんです。一つは「歌手になること」それから「料理人になること」そして「イカの研究をすること」だったそうです(笑)

坂本  イカ?!

西村  2つまでは夢がかなっているので、そろそろイカの方に行くんじゃないかと、ちょっとドキドキしてます(笑)ダイオウイカ(※)を研究して探し求めたいそうです。

坂本  料理人はやりたいことの一つだったんだ。

西村  そうなんです。歌手の仕事の方向性が難しくなった時に、たまたま飲食のお話をいただいたので、好きな仕事だったからと引き受けたんです。 主人の今の仕事は、休みも週に1回あるかないかですし、毎日朝までかかるので体力的には大変だと思うのですが、楽しんでやっているなというのはわかりますね。それが続けられる秘訣なんだろうと思います。

※ダイオウイカ科の頭足類。最大のイカで胴長約1.6メートル、全長約6メートル。日本近海の深海にすむ。タイセイヨウダイオウイカは全長約16メートルになる。(三省堂『大辞泉』より)

4 今後の目標は、90歳で転職?!

西村知美さん

坂本  14歳で芸能界に入って、あと3、4年で芸能生活30年ですね。

西村  本当に、無我夢中でしたね。

坂本  今後チャレンジしてみたいことはありますか。

西村  私は「人生97歳までは生きる」という自信はあるんですよね(笑) 90歳からの転職を考えているんですよ。人生相談をメインに人の心をいやしてあげられることをしたいです。90歳を過ぎてやっと人間として認められるような気がするんですよ。それまでの間にいろんな資格を取り、様々な仕事をして、たくさんの方にお会いしてお話をうかがい、いろいろと挑戦をし、失敗や成功をして、たくさんの経験を重ねて人生の厚みを出すと、人とお話しをする時、自分の発言に説得力が出てくるんじゃないかと思うのです。それで人生相談をして、誰かのお役にたてればと思っているんです。

坂本  深いですね。世の中のほとんどの人は自分のことしか考えていないですが、それ以上に人の役に立ちたいという思いがあるんですね。そういう意味ではとてもいいですね。  今までの話を聞いていると、知美ちゃんの生活は今かなり充実しているみたいですね。

西村  個人的な夢は、温泉のあるところに住みたいですね。そして主人は自給自足をして、自分で料理を出すペンションを作りたいそうなんです。私は掃除担当でしょうか(笑)

坂本  知美ちゃんは私の娘でもおかしくない歳だから、24時間マラソンの時のトレーニングも思い入れがありましたよ。仕事をしたあともずっと長くお付き合いさせていただいて、人と出会うことはとっても大事だと感じますね。

西村  坂本先生にはプライベートでも娘のようにずっとかわいがってくださって、本当にありがたいです。マラソンで感動を味わい、家族以上の絆があるなと思いますね。

5 24時間・100キロマラソンからはや10年~次は3世代で!

坂本雄次さんと西村知美さん

坂本  さいごに、あえて知美ちゃんに聞いてみたかったことがあります。冒頭で、知美ちゃんの24時間・100キロマラソンから10年たちました、とお伝えしましたが、今後、もう一度、マラソンに挑むとしたらどんな挑戦をしたいですか。

西村  実は、昔から目標にしていることがあるんですよ。私の両親と、私たち夫婦と、娘との3世代でホノルルマラソンに行きたいんです。主人も一緒にホノルルマラソンを走ったことがあるので、マラソンの楽しさを知っているんです。父からは「いつ行くんだ?早く行かないと歩けなくなっちゃうよ」と言われています(笑)最初から「完走しよう!」とは思っていないんですよ。親子3世代、みんなで楽しめればいいなと思っています。

坂本  いかにも、知美ちゃんらしいですね~

坂本  ホノルルマラソンは制限時間もないし、暖かいところの大会ですし、いいですね。 もし知美ちゃんたちがチャレンジするなら、お手伝いしますよ。

西村  うわぁ、ありがたいです!“坂本トレーナーの登場”、楽しみにしています!!

栄養のプロがチェック!

監修:小島美和子
管理栄養士
有限会社クオリティライフサービス代表取締役

お好み焼きでヘルシークッキング

西村さんのおっしゃるように、お好み焼きはいろんな食材を入れることができるので、簡単に栄養バランスがとれる、ママのお助けメニューです。
時には食材を変えて、バリエーションを広げてみるのもよいでしょう。
お好み焼きの粉は、ミックス粉を使うと便利です。種類も豊富なので色々試してみて下さい。

お好み焼きレシピ

<豆腐生地のお好み焼き>

お好み焼きの粉に、絹ごし豆腐と卵を加えて生地をつくります。豆腐の水分だけでちょうどいい硬さになるので、後は好みの具を加えればOK!
大豆の栄養素がたっぷりとれるヘルシーなお好み焼きです。

<カルシウムたっぷりのお好み焼き>

生地にスキムミルクを加え、具にとろけるチーズやちりめんじゃこを加えると、カルシウムたっぷりに!ちょっと洋風な味になるので、ケチャップで食べてもおいしいですよ!

<野菜たっぷりのお好み焼き>

野菜が苦手な子どもには、すりおろしたり、フードプロセッサーで細かく刻んだ野菜を加えるとよいでしょう。表面をカリカリに焼くと香ばしくなって、苦手な野菜にも気づかず食べることができますよ。

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坂本雄次プロフィール

坂本雄次さん

1947年神奈川県生まれ。
自身のダイエットのため始めたランニングをきっかけに、当時在籍していた東京電力で陸上部の監督を15年務め、素人の中からフルマラソンを2時間30分で走るランナーを数多く育成する。
1993年にマラソンの各種大会を企画運営する会社「株式会社ランナーズ・ウエルネス」を設立。
日本テレビ 24時間テレビ の「24時間マラソン」、「湘南国際マラソン」などの立ち上げに尽力。間寛平さんのアースマラソンのアドバイザーとしても完走をサポート。

AIMS公認距離測定員
国際スパルタスロン協会日本支部代表
一般社団法人日本ウルトラランナーズ協会(JUA)理事

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