坂本雄次の訪問!ウエルネス人 vol.8 上田誠仁さん

上田誠仁

1 箱根駅伝への情熱

2012年の箱根駅伝出場決定!

坂本雄次さんと上田誠仁さん
撮影協力:山梨学院大学

坂本雄次 (以下坂本)  10月15日に箱根駅伝の予選会があって、山梨学院は2位通過でした。本選出場おめでとうございます。

上田誠仁 (以下 上田)  ありがとうございます。

坂本  箱根駅伝の予選会は出場した選手のタイムの合計で大学の順位を決めるんですよね。 日大、法政、大東文化などかつての常連校だった学校が落ちたということもありました。予選会の結果を受けて、監督ご自身がどんなことを感じたかをお聞かせ下さい。

上田  大会のレベルアップも著しく、状況は厳しいとおもってはいました。選手たちには 「状況の厳しさが不可能を測る物差しではない。逆にその厳しさというのは、知恵と勇気を喚起するカンフルだ。だから、何に取り組むべきか、前向きにポジティブに考えようじゃないか」と伝えました。
そのポジティブな考え方に切り替えつつ、走力としての自信を得るまでには数ヶ月かかりました。

坂本  これから箱根駅伝に出場する選手の絞り込みをするのでしょうが、選手たちもレギュラーを獲得するための練習をするんですよね。

上田  予選会が終わった日に「予選会を走った12名が、本選の16名のエントリーの切符を持っているわけではない。今手元にあるのは、本選に出場できますよというチケットだけで、本選で走ることのできる10の座席、スーパーシートは、誰もが座れる権利がある。まずはチーム内でのいい意味でのライバル意識や競争が活性化しないことには勝負にならないんじゃないか、君たちにも平等にチャンスはあるんだよ」と予選会を走った選手以外を集めて話をしました。

坂本  来年の1月2、3日の箱根駅伝が大変楽しみですね。

涙の初出場

坂本  箱根駅伝を毎年テレビ中継で見ていて、何よりもすごく強烈で新鮮な印象だったのは、日大、大東文化大学、日体大、早稲田という、箱根駅伝に伝統的に参加している学校の中に、プルシアンブルーのタスキをかけて、旋風のように山梨学院大学が出てきたことです。山梨学院大学の存在すら、我々素人は知らなかったですからね。初めて出場された時、印象はいかがでしたか?

上田  15位、最下位でした。だけれどもアンカーまで繰り上げも無くタスキはつながったんですよ。
とにかく創部2年目に1・2年生主体で本選出場が決まった時は泣けましたね。でも、ある人が「上田監督、予選会だよ。そんなに監督が『うれしいうれしい』とオイオイ泣いていたんじゃあ、本大会どうするの」という話をされてね。「それはその通りだ」と、そこからぱっと涙も消えて「本大会まであと2か月だけれどどうしよう?」と考えました。喜びもあるけれども次のことも同時進行で考えていかなきゃいけないですね。そのとき以来指導者として心に留めている言葉が「驕るなよ、丸い月夜もただ一夜」です。何かを達成したとしても驕りや慢心があるといけませんから。

坂本  その後結果として優勝を何回もされるようになりましたね。それから長い低迷期があって、近年また復活してきて、今年また予選会からでしたね。そういったこともひとつの経験として選手諸君にもご指導されていると思います。

ケニアからの留学生が日本人選手に与えた影響

坂本  箱根に初めて出た時にはケニアからの選手はいたんですか。

上田  初めての時はいなかったです。初出場してから翌々年ですね。オツオリ、イセナは箱根駅伝で7位、4位、2位、1位の時に大学に在学していました。

坂本  今でこそ日本の大学のチームの中に外国からの留学生が混じっているというのは至極当たり前のようにファンの方からは見ていますよね。最初に外国人メンバーが入った頃というのは、周りの反応はどうだったでしょう。

上田  何か新しいことをすると、「称賛」と「批判」というのは必ずありますよね。監督車に乗っていても、「ガンバレ」という声の中に批判的な声も出てきました。
でも、陸上競技に対して真摯に取り組むという姿勢において、彼ら自身が日本人の学生に与えた影響力は大きかったですよね。留学生は我々よりも早く起きて練習に行きました。その姿勢が、今、早く起きて、身体の準備をして朝練習するという伝統になっているわけです。監督の指導とか肩書で「こうしろ」と言えば選手は「ハイッ」とやるかもしれませんが、これは強制になってしまいます。それを「先輩がそういう風にやってきたから、自分たちも見習ってやろうよ」という競技に対する姿勢を真摯に二十数年間やってきた結果が、また今年得ることができた来年の箱根駅伝への出場権だと思います。

2 上田監督のこれまで

挫折も味わった順天堂大学時代

上田誠仁さん

坂本  上田監督は高校3年生の時にハーフマラソンで日本人高校生最高記録をつくったのですよね。尋常じゃない記録ですよね。

上田  高校記録をつくり、その後、順天堂大学に入学しました。しかしながら1年目は伸び悩みました。親父が苦労して進学させてもらったので「一生懸命頑張るから!」と言って上京したはずなのに・・・地方から出てきておのぼりさん気分だったんですね。都会の誘惑に負けていたというか今思えば「天狗」になっていたんでしょうね。
そんななかで、1年生のとき、本番前日に、箱根駅伝の選手をはずされました。 陸上をやってきたなかで、一番の思い出がこの日のことです。前日の夜、出走が決まってゼッケンも縫い付けて準備万端。付き添いの学生に「明日6時に起こしに来るからな」とも言われていたんです。

坂本  そんなに直前だったんだ。

上田  付き添いになっている補欠だった1年生が走ることに前から決まっていたらしいのですが、監督が「上田には言うな」と言っていたそうなんです。
そんなことつゆ知らず、事実を聞かされた私は、100円玉握りしめて、近くの黄色い公衆電話に行って、高校の恩師や親に報告しました。親父が電話に出た時に「申し訳ないなぁ、情けないなぁ、おれは何をやってるんだろう」と自分自身が惨めでした。夜の11時過ぎで、雪も降っていたし、あの時は泣けましたね。千葉県船橋市の合宿所のそばの公衆電話から、香川県の善通寺までかけていたんですが、当時はもちろん携帯もない時代。100円玉が40~50秒くらいで「ガチャン、ガチャン」と落ちて行くんですよ。都合が悪ければ切ればよかったんですけれども、切れなかった、動けなかったですね。それで「惨めに思うんだったら、やるべきことをやっておけばよかったなぁ」と思ったんです。でも、その後3年間自分は箱根を走ることができましたから、その時の監督の指導が活きたと思いますね。よく、「上田さんの陸上の思い出は?」と聞かれて、「箱根駅伝に初出場した」「初優勝した」といろいろとある中でも、やはり、一番の思い出がこの日の公衆電話の100円硬貨の落ちる音なんです。

坂本  それは本当にいい経験ですね。でも上田監督のように気づく人と気づかない人といますよね。社会人になってからも、物の本質や自分を振り返る、自分の足元を見つめなおすという気持ちを持っている人と持っていない人との差というのはそのあと如実に出ますよね。

山梨学院の陸上部監督に就任

坂本雄次さん

坂本  故郷の香川で、中学教員だった1983年に、ロサンゼルスオリンピックの代表選考レースとなった5000mに出場されて、ラストの40mまではトップだったんですね。

上田  でも新宅さん(新宅雅也、改名後、永灯至“ひさとし”)、に負けてしまって、2位だったんです。24、5歳の時ですね。

坂本  その1年か2年あとに山梨に来られて、陸上部の監督になられたんですよね。

上田  1985年ですね。26歳で来ました。ロサンゼルス五輪の代表選考レースが終わった頃に「山梨学院で陸上の監督をやらないか」という話がありました。

坂本  (このころは、さすがに)お若いですよね~。

上田  はいはい髪もふさふさしてました(笑)。老眼鏡はいらないしね(笑)。若かったですよね。
実は、私は小学校1年の時に交通事故に遭いそうになって、荷物がダーンと落ちてきたところを父が助けてくれたんです。私は怪我をしなかったんですが、父は頚椎と脊髄にダメージを受けて、2年近く入院したんですね。父が非常に苦労して大学を出してくれたし、「体育の教員になりたい」という夢もあって、地元の四国に帰りました。まだ瀬戸大橋の架橋工事をやっていて、それを見ながら中学がある瀬戸内海の本島(ほんじま)まで船で通っていましたね。
「山梨へ」という話をいろんな人に相談したら「何考えてるんだ」「山梨学院を箱根駅伝へ出場させる、そんな夢物語は無理だ」と言われましたね。行ったってとても成功できないだろうし、せっかく地元に帰ってきて教員に採用されたんだから、ここで子供たちと共に過ごすというのも、人生の一つなんじゃないかという話もされましたね。

プルシアンブルーのユニフォームに賭けた思い

坂本  当時は他の大学の陸上部に、26歳くらいの若い監督はいらっしゃったんですか。

上田  いないですね。あの当時は、皆さん50~60代という顔ぶれでした。

坂本  山梨学院の陸上部の創部が新しかったんですか?

上田  創部は私が山梨学院に来た時ですね。学生会の中の体育会の組織ではなくて、学長直属の強化育成クラブとして創部しました。学長からは、「アメリカに行くと、例えば『○○大学はレスリングが強い』『うちは何と言ってもフットボールが強い』『うちはベースボール』というので街が活性化する、山梨学院大学の陸上部ではそういうものを目指してやりたいんだ』という学長のお話がありました。私自身、何よりも「大学のレベルで指導したい」という強い思いがありました。
そして、創部ということでチームのユニフォームの色をどうしようかと考えたんです。「大学のレベルで指導する」となると、チームづくりや人づくりは絶対やらなきゃいけないし、「日の丸をつけた選手も育ててみたいなあ」という夢もありました。その思いをのせる色だったのは、自分の育った瀬戸内ののどかな空や海の青、山梨で見た洗いたてのような“空の青”つまり瀬戸内海という狭い海も、甲府盆地から見上げた切り取られたような青空も、世界中の海や空とつながっているという想いを表す“プルシアンブルー”でした。 その後、箱根駅伝での中継の効果もあって、この「プルシアンブルー」は、山梨学院のタスキとユニフォームの色になりましたね。ありがたいことですね。

3 監督として、スポーツを通し人間作りを行う

スポーツを通して得られる人生経験

上田誠仁さん

坂本  人間関係や自分を律することなど、大学4年間の間にスポーツを通じて学んだことは、社会に出てからの土台になるのではないでしょうか。

上田  陸上競技をやって、必ずみんな平等に身につくものはあるのではないか、そこを大事にしようよ、というのを最初にチームづくりをする時に言いますね。
「疾風に勁草を知る」、「はやい風が吹いて初めて強い草が見分けられる」という中国の後漢書に僕の大好きな言葉があるんです。入学式の時に新入生や保護者の方に 「速くなるように、勝たせるようにということは当然、監督として取り組んでいますが、では速ければよいのか、勝てさえすればよいのか、というとそれは違います。雨が降っても流されない、風が吹いても飛ばされない、大地にしっかり根を張ったような草になろう、風が吹いても復元力のある、しなやかな人間力をつけてほしいと願っています」
と話をしますね。そして「なんにも咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ」という言葉をつかいます。 やがて来る暖かい春を待って「ここだ」という時に花を咲かせる、そのために花の咲かない、葉も茂らない、実もならない冬の時にこそ、根を張る努力をしなくてはいけないということです。スポーツは、苦しい時期が長くても我慢してやり続けるというところに、何か価値があるのではないかと思います。

坂本  先ほど上田監督がおっしゃった、根っこはしっかり張っておいて、幹に相当する部分はしなやかにするというのは、人づくりにおいて根本的なことになりますね。 だいたいここ10年くらいの間で、高校を卒業して入ってくる学生の質って、大きく変わってきていますか?

上田  本質的には大きくは変わってないです。ただ、今年だったら震災の影響があって、そういうものに翻弄される学生もいるわけで、それをどうサポートしていくかというのは、またこれまでとは違いますね。スポーツを頑張るというのは、ひいては「がんばれ東北」ということに通じなきゃいけない、スポーツ活動というのは、スポーツ文化としてとらえて、そういうことも含まれているんだよと伝えています。「じゃあ自分もがんばらなきゃ」と思える選手が出てくればそれはいいことだと思っています。
また、ネット社会になって携帯などを持つようになって、当たり障りのない優しい言葉でつながっていても、きつい言葉は匿名でどんどん流れますよね。面と向かって時には厳しいきつい言葉を言えるというのは、人間関係では素晴らしいことです。罵詈雑言ではなく「これじゃだめだよ」ということを日常的に言える仲間になれなければいけないと思いますね。

選手たちの食生活

坂本雄次さん

坂本  今部員は何人くらいいるんですか。

上田  60人くらいですね。強化育成の選手は合宿所で生活です。強化育成を落ちてしまうと「サテライト」と言って自分で自炊活動をしながら生活をします。

坂本  選手生活で大事なことだと思うのですが、食事や栄養管理は、どなたかご専門の方がいるんですか。

上田  そうですね。適切でなくてはいけないので、専門の調理師さんがいて、相談しながら、季節や大会に応じてメニューを変えてもらっています。

坂本  陸上や駅伝をやっている選手が、1日に食べるものって、どのくらいの量なんですか。

上田  通常の定食を食べているのと変わらないですよ。それにプラス鉄やたんぱく質を多めに摂取してゆく、大会の前なら炭水化物を主力に切り替えるというくらいです。食事に関しては、長距離は体脂肪をコントロールしなければならないので、例えば酢豚だったら油で揚げる前に湯せんして、脂を落としてから衣をからめるような工夫をしています。フライのようなものは極力はずして、煮たり、蒸したり、焼いたりというメニューにします。その中で鉄分の含有量を多くするために何を追加するかなどを考えますね。

坂本  365日のことだから、それは大事ですね。

上田  ビタミンであれ何であれ、人間は口から摂取したものでないと栄養素として体の中で吸収や活用ができないですから、何を食べるかというのは大事ですね。そして何より食物は身体を作りますが食べ方は心を作りますのでそのすべてを見守るようにしています。
適切な栄養学の知識や、スポーツ医学、体調管理のためのストレッチなど、いろいろな知識をもとにして、実践をしていかないとスポーツは結果に結びつかないですね。頭の中で知っているだけではどうしようもないです。選手の健康管理、体調管理にプラスであれば、我々はどん欲に取り入れたいです。

心と体の自己管理

坂本  日常生活は、昼間は学生生活があると思いますが、練習が始まる時間というのはだいたい何時頃なんですか。

上田  朝練習は6時から開始しますが、始まる20~30分前までには動き始めていますね。ストレッチや補強などを入れて1時間半くらいトレーニングをします。山梨の自然環境や地形などを生かしたコースを走ります。私は今、足が故障気味なので、自転車で学生たちについて伴走しています。
夕方は授業が終わったあと、16時半からトレーニングを開始して、だいたい19時頃までやります。長距離のトレーニング時間はそんなには長くないですね。

坂本  選手個人個人の体のケアは自主性に任せているんですか。

上田  大学にもトレーナーがいますし、それぞれが直接ドクターやトレーナーの方と連携を取って指示をもらっていますね。また、合宿所暮らしなので「今日はマッサージの日」「今日は温泉の日」と声をかけます。この間の箱根駅伝の予選会が終わったその日は、温泉に行って、疲れを取って、食事ではたんぱく質をしっかりと摂取させて、という風に疲労回復につとめました。でも、最終的にはどれだけ自己管理できるかだと思います。言われたからストレッチするのではなくて、自分からやるような選手でないとだめだと思いますね。そのぐらいのことは努力とは言わない、当然だと思いますね。
それから「メンタルタフネスって大事だけれども、その前に、心のストレッチと心のウォーミングアップって必要だからね」と伝えています。心のストレッチのやり方がわからなくてただ「がんばらなきゃ!強気で行くぞ!」と言っていてもパンツのゴムも伸ばしっぱなしじゃ切れちまうぞって思いますね。

4 上田監督のプライベート

食生活を通してウェルネスになろう

坂本雄次さんと上田誠仁さん

坂本  上田監督の体の状態は実年齢より10歳はお若いんじゃないでしょうか。それでも食事をする時に、これは糖分やビタミンの取り方、お酒の飲み方などで気をつけていることはありますか?

上田  太るとたまにしか着ないスーツが入らなくなるので(笑)高脂肪食は少し気をつけますね。栄養のバランスには気を使っていますし、家内も気をつけてくれています。 それで「何を合わせて飲もうかなぁ、これはワインにしようかな」と考えたりします。

坂本  お酒は何が一番好きなんですか?

上田  なんでも好きですが、山梨に来て、ご当地のワインがおいしいなぁと思いました。 味に広がりを感じさせてくれますね。

坂本  うどん好きなんですよね。

上田  讃岐出身ですからね。うどんには厳しいです(笑)。

坂本  黙ってしゃべらせておくと2、3時間うどんのことをしゃべっているそうですね(笑)。

上田  麺類が大好きなので、パスタは週に何回か食べます。庭にバジルも育てているので、摘んできてパスタを作ることもありますよ。
先日はカレーも作ったんです。ケニアに行った時にトランジットでトルコに寄ったので、スパイス市場でいろんなスパイスを買ってきました。すね肉とすじ肉が好きなので両方たっぷり入ったのを業務用のでかい鍋で3日間かけて「絶対誰も作らないだろうな」と思って作りました。頭皮から汗が噴き出すようなカレーです。マネージャやスタッフを自宅に招いてカレーパーティーをやったのですが大好評でした。たくさん作ったのでタッパに詰めてお土産で持って帰る人もいましたよ。

坂本  懇親にもなるし、いいですねぇ。そして健康であれば食べ物はおいしく感じられるんですよね。

上田  そうですね、食事は楽しくという雰囲気を学生諸君にも味わってほしいなと思いますね。それこそウェルネスじゃないですか。ウェルネスって、私のイメージは、単に身体的に健康であると言うだけではなく、心情的により良く、より楽しくなればということだと思っています。
そして健康というのは、ただ長生きするのではなく、心も身体も健康でなければという大前提はあるのではないかと思います。

陸上選手として活躍する息子さんのこと

坂本  高校1年生になる息子さんがいらっしゃいますよね。中学の頃から陸上をされているんですよね。

上田  中学3年生の時に全日本中学選手権の1500mで優勝して、日本ジュニアの3000mで優勝しました。でも先日の国体では熱中症で倒れたんです。今年はインターハイにもいけなかったですね。
私自身も中学時代は日本中学記録を出して優勝したんですが、子どもなりにいろんなプレッシャーを感じて、高校に入ってからも故障で悩んで全く走れなかったんです。 長い競技スパンなので、息子には失敗も挫折もいろんな経験を重ねていってほしいなぁと思いますね。中学校の時の実績は実績として、高校3年間の中で自分がどういう形で少しでも成長していくかを見てゆきたいと思っています。

5 上田監督のこれから

出会った学生の心に残る監督になりたい

坂本雄次さんと上田誠仁さん

坂本  さて、26年監督生活をされて、50代に入られたわけです。
私の場合は若い時は10年単位で考えていたんですね。途中で人生の節目を迎えた時に、その時は15年というスパンを置いて、それで一つの結果を出すようにしました。その結果が60歳の時に出ました。そこからは10年のスパンが5年に変わりました。
50代というのは一番脂が乗ってきた年齢ですが、何か今後の抱負があればお聞かせ下さい。

上田  まず第一に、箱根駅伝を目指す一人の監督として、今できることを精いっぱいやるということです。でも「今年さえよければ」ということではなくて、当然将来のことも見据えてチーム運営をしようとは思っています。
そして、自分自身が52年の中で得た人生経験や視点を学生たちに与えて、いつか「あの時に監督に出会ってよかった」と学生に思ってもらえるようになりたいです。
その中で「この選手は山梨の空から外に行くぞ」という選手に出会えれば幸せですね。 山梨学院の陸上部からはオリンピック選手が4人出ました。満足はしていないですけれども、やればできるんだと思いますね。

坂本  長い時間、いいお話をうかがわせていただきありがとうございました。

栄養のプロがチェック!

小島美和子

監修:小島美和子
管理栄養士
有限会社クオリティライフサービス代表取締役

スポーツ選手と麺料理

上田監督は麺料理がお好きとのことですが、スポーツ選手にとって炭水化物食品の麺は、欠かせない食品です。特に長距離選手は、大会前だけでなく普段から、体内にグリコーゲンを多く蓄えておくことで持久力が高まります。いつも主食はごはん、というのではそれほど量が食べられず、料理のバリエーションが広げにくいので、パスタやうどん、そばなどの麺類を上手にとりいれましょう。パスタやうどん、そばなどは常備できて便利ですね。パスタソースには色々なバリエーションがあるので、上手に使うと料理の幅も広がります。そのままでもいいですが、野菜やアマニ油などを組み合わせると更に、栄養バランスがアップします。

バジルのスパゲティ

生風味バジルクリームソースを使えば簡単にバジルのパスタが作れます。アマニ油でヘルシープラス!フレッシュのバジルを加えれば風味が更にアップします。
●作り方
(1) 鍋にお湯を沸かし、塩を加えてパスタを茹でる。
(2) 茹であがったらざるに上げて、ボールに移しバジルソースで和える。
(3) お皿に盛ってアマニ油を回しかける。
 *フレッシュのバジルがあれば、ちぎって載せる。

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坂本雄次プロフィール

坂本雄次さん

1947年神奈川県生まれ。
自身のダイエットのため始めたランニングをきっかけに、当時在籍していた東京電力で陸上部の監督を15年務め、素人の中からフルマラソンを2時間30分で走るランナーを数多く育成する。
1993年にマラソンの各種大会を企画運営する会社「株式会社ランナーズ・ウエルネス」を設立。
日本テレビ 24時間テレビ の「24時間マラソン」、「湘南国際マラソン」などの立ち上げに尽力。間寛平さんのアースマラソンのアドバイザーとしても完走をサポート。

AIMS公認距離測定員
国際スパルタスロン協会日本支部代表
一般社団法人日本ウルトラランナーズ協会(JUA)理事

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