坂本雄次の訪問!ウエルネス人 vol.6 石川牧子さん

石川牧子

1 日本テレビのアナウンサーとして活躍

アナウンサーを目指したきっかけ~女性が輝ける職業への憧れ

坂本雄次さんと石川牧子さん
撮影協力:日テレ学院

坂本雄次 (以下坂本)  アナウンンサーになられたきっかけは何だったのですか。

石川牧子 (以下 石川)  私は好奇心が強い女の子で「陸上のオリンピック選手になりたい」「女医さんがかっこいい」「通訳になりたい、外交官になりたい」といろんな夢を持ちました。 その中の一つが「アナウンサー」でした。私の幼い頃の東北はなまりが今よりもっと強かったので、中央のテレビの共通語を話す女性アナウンサーっていいなあと思いました。また、天気予報を伝える、ニュースを読む、司会をやる、と、雑用ではなく女性が一人で具体的にできる仕事内容だし、年配になっても続けられるな、と他の職業よりも強い憧れを持つようになりました。

坂本  そういう気持ちになっていくバックグラウンドがあったんでしょうね。

石川  私の一番身近な女性は母です。夫である父を立てて、毎日のみそ汁の具ひとつまで、なんでも父の意向を聞いていました。私は「みそ汁なんてあるものを出して飲ませればいいじゃないの」と母に言ったんですが、「結婚以来、ずっとお父さんにはこうやってきたから変えられない」って。戦後生まれの私は「母のような完ぺきな主婦にはなれないけれど、なんでも男性に『どうしますか』と聞かないとハンコ一つ押せない人生はつまらないんじゃないかな」と、母に対して尊敬の念と反面教師の思いの両方がありましたね。

坂本  石川さんが大学を出て社会に出る10代後半から20代前後の時には、自分の仕事や人生で「こうなりたい」という目標があったんですね。

石川  そうですね。「自分で考えて、自分で決断して、自分の足で歩きたい」と思いました。

当時の女性アナウンサーとしての環境

坂本  石川さんは女性として自立して仕事をしたいという思いがありましたが、1970年に日本テレビに入社され、実際は男女のアナウンサーの、仕事内容は違っていました?

石川  思いのほか男尊女卑の環境でしたね。政治、経済、事件、事故を読むのは主軸の男性アナウンサーで、女性は「サクランボが取れました」とか「赤とんぼが見られました」と業界用語でいう「ヒマネタ」のニュースと、天気予報を読むという役目でした。

坂本  なるほどね。

石川  例えば坂本さんと私は、今こうやって同列に並んでお話しているでしょ。でも私が現役の頃は、男性とニュースを読む時、女性は男性より1mくらい下がって読むんですよ。

アナウンサーとしては致命傷、「顎(がく)関節症」に・・・

石川牧子さん

坂本  さて、多忙をきわめた現役のアナウンサー時代、顎関節症にかかられましたね。

石川  1981,2年頃です。旧ソビエトがアフガニスタンに侵攻し、戦地の取材に入ったんですが、それでとことん具合を悪くしたのではないかと思うんです。「顎関節症」という診断が下るまでに2年くらいかかりました。あらゆる診療科目にかかっても「異常ない」と言われました。その後、徳光和夫さんが東洋医学の先生を紹介してくださいました。その先生に体を足からもみほぐしていただいて、最後に顔の近くを診られて「噛み合わせだ」ということで歯医者に行ったら「顎関節症」とわかったんです。

坂本  顎関節症の治療ってどういう風にするんですか?

石川  私の場合は、口に緊張があるので、マウスピースみたいなものをはめて、あごに高さを出しました。そうすると血行がよくなるんです。

坂本  治療を始めて、どのくらいで治ったんですか。けっこう時間がかかりましたか?

石川  完璧にアナウンサーとして「よし、何でもできる」と思うまでに8年かかりました。

坂本  治療の間はアナウンサーとしてどうされていたのですか?

石川  顎関節症だと、ニュースのように一人でしゃべり続けることができなかったのです。インタビューは、一言問いかけて相手が話す間は休めるので大丈夫でした。我々話をする時に「次はこの音を出そう」と考えませんが、私は起きてから寝るまでの間、話すために一字一句考えないと口が動かなかったんです。神経疲れますよね。

坂本  30代はほぼ治療で費やしちゃったんですね。

石川  そうですね。病気の前は、最高視聴率を19.9%記録した夕方6時台の『ジャストニュース』や人気番組の『アメリカ横断ウルトラクイズ』を担当して、順風満帆だったと思うんです。でも東洋医学の先生に「病気で苦しい思いをしなかったら、鼻もちならないアナウンサーになってたよ」って言われて、本当にそうだと感じましたね。

坂本  30代を恵まれた状態で過ごすのと、苦しみぬいて七転八倒して迎える40代の自分というのは、相当差があると思うんですよね。

石川  「がんばんなよ」と励まされても「がんばってもできないんだよ」という心境でした。

坂本  走っている人への声援も、まだ本当に何とかなるような状況の時や、一番最後、あと数百メートルでゴールというせめぎ合っているような時は「がんばって」は効きますが、そうじゃない一番しんどいような時には「がんばって」は言わない方がいいですね。

石川  顎関節症になって自分自身のことも、人のことも見えてきましたね。私は後の母の介護の時に、その頃の経験が役立ったと思っています。

『横浜国際女子駅伝』『世界陸上』の中継を担当する

坂本  本格的なスポーツ実況への女性アナウンサー抜擢の背景には何かあったんですか。

石川  心の底には「スポーツ実況をやってみたい」という気持ちはありましたが、当時は女性アナウンサーのスポーツ実況がなかったので、口に出すのは、はばかられましたね。そして入社して15年以上たって、ゲートボールや新体操の実況を担当したのです。 やがて、これまで横浜国際女子駅伝で中継所のレポートをしていた女性アナウンサーに対して、「女性のイベントだし、日本テレビが率先して女性アナウンサーの実況者を養成しよう」との気運が高まったのです。

坂本  女性アナウンサーの本格的なスポーツの大会の中継は、珍しかったですか?

石川  非常に珍しいです。最初に横浜国際女子駅伝を担当した年は、視聴者から紙にして10センチ以上の束になる雨あられの抗議で、全部「女の声はスポーツ中継に合わない」「うるさい」という内容でした。「40歳過ぎてこんなに抗議を受ける仕事はもういやだ」と翌年は担当を断ったら「今君にやってもらわないと、他の若い女性アナウンサーに続かなくなる」と言われて意気に感じて、責任感でやりました。不思議なことに、2年目は「今、選手はどこを走ってるんだ」「次はどんな選手なんだ」など“内容”への苦情になったので、継続して女性アナウンサーのスポーツ中継を続ければ、視聴者の耳が慣れるのかと思いました。

坂本  そして、1991年に世界陸上東京大会の実況も担当されることになった。

石川  そう。女子10キロの競歩の実況と、カール・ルイスの出た「走り幅跳び」のリポートを担当しました。

女性のアナウンス部長として

坂本雄次さんと石川牧子さん

坂本  やがてアナウンス部長になられましたね。

石川  はい。1997年です。

坂本  アナウンス部長だと管理職としては、女性では第1号ですか?

石川  在京のキー局では1号です。

坂本  そういった立場もさきがけ、トップランナーだったわけですよね。

石川  トップランナー、いい言葉ですね(笑)。

坂本  当時アナウンス部長をされた時、所属するアナウンサーは何人くらいでしたか。

石川  私の時は、それまでの中で一番多い50人を超えましたね。歴史上一番人数がいました。私が入社した1970年には、男女合わせて10数人しかいなかったんですよ。

坂本  アナウンサーを束ねる立場になった時はどんなお気持ちでした?

石川  引き受けた当時、実は不甲斐なくも少し涙を流してしまい「大海原に小舟が浮かんでいるような心境」というくらい不安でした。ただ、顎関節症を患った時に私を助けてくれたアナウンサーの仲間のためにも部長をやろうと思ったんです。そして、アナウンサー部長を務めるうちに「いろんな決断をすることが出来る管理職に自分は向いているんじゃないか?こういう仕事が好きなんじゃないかな」とも思いました。アナウンサーは上手、下手、先輩、後輩関係なく、それぞれが一国一城の主なんですよ。だからその人たちを束ねようとするのではなく「一人一人がのびのびと、自分に合った仕事ができるように」と思いました。

2 坂本雄次さんと石川牧子さん

介護者の家族の苦悩~手は貸さないで、でも目は離さないで

坂本  お母様がパーキンソン病にかかられた頃は、仕事の方は非常に忙しい状態でしょう。

石川  母の介護は在宅で4年半でして、その間にアナウス部長になったんです。

坂本  プレッシャーが非常にかかる状態で仕事と介護を両立しなければならない期間は長かったんですか。

石川  7年両立しました。アナウンス部長を打診された時に「ああしまった、母の介護ができなくなる」と思いました。毎週ではないですが、頻繁に東京と実家のある仙台を往復しました。仕事のことと母の関係のことで、いつも携帯が鳴っていましたね。

坂本  パーキンソン病とは、具体的にどんな症状なのですか?

石川  脳の中脳から出されるドーパミンという物質が流れ出なくなって減少し、運動神経に思ったことがいきわたらなくなります。例えば「お茶飲もう」と思っても手が動かないし、電話が鳴っても、ベルが鳴り終わった頃に手が伸びるんです。体を使わないと筋肉が固まって、退化して病気が進んでしまうので、お医者さんからは「じれったいと思っても手は貸さないで、でも目は離さないで」って言われました。

坂本  四六時中、監視をしていなくちゃいけないんですね。

石川  そうなんです。だから家族は非常に大変です。

坂本  気が抜けないわけですね。

石川  治療方法が投薬しかないし、薬が苦いらしくて、母が飲まないこともありました。

坂本  難しい病気なんですね。

石川  そうなんですよ。好きだった母がどんどん衰えていくのを見るのがつらかったです。でも父が一番つらかったと思う。父は母の病気はいずれ治ると思っていましたからね。

坂本  お父様もお母様の変化に戸惑ったでしょうね。

石川  これは父への非難ではなく、介護をする人はみんなこうなるという例ですが、父も人格が変わってしまい「なんでそんなみっともない格好なんだ」「こんなことぐらいできないのかっ」と言葉の虐待が始まり、続いてつねる、物を投げるという体への虐待になりました。介護で疲労する父を見て「そばにいる父が病気になるな、うちも新聞に出るような“介護共倒れ”“介護地獄”の例外ない一員になる」と思いましたね。

日本の介護の現状

坂本  お母様の介護で仙台に通われて、介護を通して知ったことや、現状の介護の現場について、お考えがあったら教えて下さい。

石川  日本の介護や福祉の現状は貧しいと思いましたね。…この話をすると、いつも涙が出てくるんですけれど、4年半母を自宅介護して、その後入院させて、転院の時に、私が「仙台市内で、難病である母の受け入れ先を探していただきたい」と伝えたら、「日本アビリティーズ協会」の団体の方が、ものすごく親身になって探して下さったのです。

坂本  そうですか。

石川  あらゆる手を尽くしても施設に受け入れを拒否され続けていたところ、最後に、宮城県の福祉関係の方が、「もし僕の施設でよければ、人手もお金も不足していますが、今日、明日からでも、お受けできますよ」と声をかけて下さって、ありがたくて、ハンカチが2枚びしょぬれになるほど泣きました。 「難病の上に気管切開している厄介な患者さんは引き受けられない」ということで、ほとんどの施設から拒否されていました。「難病の人ほど、助けてくれるのが、医療で福祉じゃないのか。素人はどうしたらよいのか」と思いますが、その受け入れができないというのは矛盾しているでしょう。

3 健康への取り組み

ウォーキングで細胞が生き生き~後悔なく、日々充実、楽しみながら

石川牧子さん

坂本  少女時代、陸上や水泳、バレーボールなどをされてスポーツ万能だったんですよね。 それで社会人になって、長らく運動からは遠ざかっていて、心身ともに健康でいるために、ウォーキングを始められたと思うのですが。

石川  「父や母は生きてきた様子と同じように人生の幕を下ろしたな」と思ったんです。母は、特養ホームで日曜日の早朝5時くらいに、誰にも看取られずに世を去りました。人に迷惑をかけるのが大嫌いで、我慢と忍耐で人生を送って、自分の息を引き取る時の悲しさを、誰にも見せず、迷惑をかけないで逝きました。その5年後に逝った父は「器械の管を巻かれたり、注射をされたりして死んでいきたくない」との願いどおり、自分の部屋で、好きで作った庭を見ながら、親戚や私に看取られてにぎやかな中で息を引き取りました。華やかで楽しいことが大好きだった父が、死ぬ時もそのように世を去って行ったんです。

坂本  なるほどね。

石川  両親が亡くなる時の様子を見て、私も後悔なく、日々充実して、楽しみながら、人生を終えたい、と思ったのです。それで、坂本さんのお勧めもあってウォーキングを始めました。始めて2ヶ月くらいで、体を診てくださる東洋医学の先生に「何か始めた?」と聞かれたんですね。それで「週に1回か2回ウォーキングしてます」と答えたら「細胞の活性化が違う!細胞が生き生きしてる」って言われたんです。

坂本  運動して新陳代謝を高めて、食の気配りをすると、人間は生き生きするんですって。

石川  「細胞が生き生きしている」と言われてうれしかったです。小さなことが気にならなくなって「まぁいいか!私は細胞が生きてる!」と優越感を抱くんですよね。

坂本  仕事や人生に自信が持てますよね。

石川  そうなんです。ウォーキングを始めて最初は20分、30分、徐々に伸ばしていって、1ヶ月しないうちに1時間歩くことは何てことなくなったんですよ。20分くらい歩くと腸が動くことがわかります。ついでにガス、つまりおならが出たりして(笑)

坂本  そうそう、健康な証拠です。歴代の24時間マラソンランナーもそうでした(笑)。

石川  それに最近、時々すれ違う男性の方が、最初はブスーとしてらしたんだけど、あちらからご挨拶して下さるようになって、それがまたすごく楽しいですね。

坂本  食事のことは何か気配りされているんですか?

石川  私はこう見えても大病しているので、野菜は多めに取るようにしています。

坂本  特に朝食で、先に野菜サラダをしっかり食べると結果的に主菜が減って、食事の量がコントロールできます。色の濃い野菜を食べるとビタミンの摂取もできますから、そういう食習慣をつけて、ウォーキングを続けると、来年の今頃はかなり変わると思いますよ。

石川  毎週日曜日の朝早く、うちの近くのお寺さんの前に、行商で野菜を積んでいる車を発見したんです。あえてそこに最終的に行くようにして、新鮮な野菜を買って帰って食べるようにしています。それが私の定番になりました。

坂本  八百屋さんやスーパーに来る野菜に比べれば、鮮度が違いますよね。 当然栄養価も高いでしょうしね。

4 20年来の夢である「小説」を書いてみたい

坂本雄次さんと石川牧子さん

坂本  これから、ウォーキング以外に石川さんが取り組んでみたいことはありますか?

石川  20年来の夢で、小説を書いてみたいですね。ぜひ書きたいテーマがあるんですよ。 母をモデルにした女の一生です。東北の小さな町の芸者置きやの娘として、蝶よ花よと育てられた祖母と、関東出身の和菓子職人の祖父。二人の間に生まれたのが、私の母です。そうした境遇で育てられた、母の一生を描いてみたいのです。

坂本  なるほど。石川さんの生き方のモデルとなったお母様を、小説にしたいということですね。書くことはぜひやっていただきたいですね。私も20年マラソンをやっていますが、書き残したいという欲求はありますね。 最後に今後アナウンサーになりたい方へ、お伝えしたいことがあればお聞かせ下さい。

石川  アナウンサーになりたいという人に限らず、女性にも男性にも若い人には、紆余曲折はあるだろうけれど、一つのことを全うするのはすごく大事だと伝えたいですね。

坂本  そうですね。全く同感で、私も30歳で素人でランニングを始めましたが、同じことをコツコツコツコツずーっと飽かずに続けていくと、いろんなものが見えますね。 ウォーキングもね、毎日歩いていていたら達人になれますよ。

石川  そうですね。

坂本  ありがとうございました。

栄養のプロがチェック!

小島美和子

監修:小島美和子
管理栄養士
有限会社クオリティライフサービス代表取締役

朝のたっぷり野菜料理

石川さんのように、朝、新鮮な野菜をたっぷり食べるのは、健康にそして美容におすすめです!
朝のからだが一番欲しがっているのは水分。寝ている間も、体内から水分は失われているので、水分を補給しないと血流が悪く、つややかなお肌が作れず、朝の代謝が上がりません。ミネラルウォーターなどで水分補給するだけでなく、たっぷりの野菜からとるのもおすすめです。野菜には水分、カロテンやビタミンC、ビタミンEなどのビタミン類、カリウムや食物繊維なども含まれています。きれいなお肌を作る、疲れにくいからだをつくる、そして腸の働きを活発にして便秘を予防するなど、様々な効果が期待できます。
もうひとつ、必ずとりたいのが糖質。糖質は、活動のエネルギー源となりますが、体内に貯蔵できる量が少ないので、朝のからだでは不足しています。特に脳は糖質しかエネルギー源として使えないので、朝のからだを目覚めさせるために必須の栄養素と言えます。時間がなければ、果物や果汁飲料だけでも。時間があれば、ごはんや、パスタやうどん、パンなどの糖質食品をしっかりとりましょう。

朝ごはんレシピ 「緑黄色野菜たっぷりのマカロニサラダ」

時間のない朝におすすめの、マカロニサラダです。マカロニの主栄養素は糖質。そこに、ビタミンたっぷりの緑黄色野菜を組み合わせます。生風味ソースを使えば、手軽に栄養バランスのいい一皿が作れますよ!
●作り方
(1)ブロッコリーを小房に分ける。にんじんとかぼちゃを一口大に切る。(その他好みの野菜でOK。 )
(2)鍋にお湯を沸かし、早ゆでサラダマカロニを茹でる。2分位経過したところで、(1)も加えて一緒に茹でる。
(3)マカロニと野菜が煮えたら、ザルにとり、チーズソースやたらこソースなど、好みの生風味ソースで和える。

坂本雄次プロフィール

坂本雄次さん

1947年神奈川県生まれ。
自身のダイエットのため始めたランニングをきっかけに、当時在籍していた東京電力で陸上部の監督を15年務め、素人の中からフルマラソンを2時間30分で走るランナーを数多く育成する。
1993年にマラソンの各種大会を企画運営する会社「株式会社ランナーズ・ウエルネス」を設立。
日本テレビ 24時間テレビ の「24時間マラソン」、「湘南国際マラソン」などの立ち上げに尽力。間寛平さんのアースマラソンのアドバイザーとしても完走をサポート。

AIMS公認距離測定員
国際スパルタスロン協会日本支部代表
一般社団法人日本ウルトラランナーズ協会(JUA)理事

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