坂本雄次の訪問!ウエルネス人 vol.5 徳光和夫さん

徳光和夫

1 アナウンサーとしてのこれまで

長嶋茂雄さんを追いかけてアナウンサーに

坂本雄次さんと徳光和夫さん
撮影協力:はやし亭

坂本雄次 (以下坂本)  徳光さんは日本テレビのアナウンサーとしてスタートされていますけれど、アナウンサーを志したきっかけはあったのですか。

徳光和夫 (以下 徳光)  実は全部、“長嶋茂雄さん”なんです。高校2年生の時、長嶋さんの大学新記録の8号ホームランを見て、まず、立教大学に入りたいと思ったんです。立教しか受験しませんでしたが、何とか1学部だけ補欠で入れて、長嶋さんの後輩になれました。
でも僕が入った時には長嶋さんはもう卒業されていたので、人から長嶋さんの話を聞いて、足跡を追うんですね。例えば、長嶋さんが水曜日は礼拝に行ったと聞けば教会に行き、長嶋さんがここで練習したと聞けばそこへ行ったり、長嶋さんが学食でこの席によく座ったというとそこに座ったり…。(笑)
ですから当然、長嶋さんの姿を思い描きながら神宮球場で野球を見たいと思うわけです。神宮球場で野球を見るといってもお金がないからタダで見なければならない。ただで見るにはどうしたらいいかと思って「応援団」に入ることにしました。応援団の1学年の頃は、神宮球場には行くんですけれども、学生応援席の最上段でサボっているやつを注意するためにグランドに背を向けていなければいけないんです。それは本意ではないわけです。
そうしたら、最前列に毎回女の子とテープレコーダーを持って来ているグループがいました。何だろうと思ったら「放送研究会」だというので、それで放送研究会にくら替えしたわけです。そこで出会ったのが、土居まさる(※アナウンサー、司会者)。僕がしょっちゅう「長嶋先輩、長嶋先輩」と言っているから、「そんなに会いたいんだったらアナウンサーになればいいじゃないか」と土居さんに言われて、それでアナウンサーになったんです。そこまでは順調でしたね。
一挙手一投足、長嶋さんの熱いプレーを自分の実況中継で伝えられるなら、下積みが十何年かかってもいいと思っていたのですが、入社2年目ぐらいに野球じゃなくてプロレスに行けと言われまして、(笑) サラリーマンですから業務命令です。これにはガックリ来ました。本当にアナウンサーを辞めようかと思いました。

プロレス担当になって~レスラーの現実から学んだもの

徳光和夫さん

坂本  長嶋さんの一挙手一投足を伝えたいとアナウンサーになったわけですよね。かなりしっかりした志望動機があったにもかかわらず、それは実現しなかった。

徳光  私は、プロレスを8年間担当しましたが、振り返ってみると、そのプロレスで非常にいい経験をしました。当時のレスラーは、非常に厳しい環境のなかでプロレスに取り組んでいました。私はプロレスをアナウンスしたことで、彼らがスタープレーヤーにも関わらず、実は大変苦労している状況を目の当たりにしたわけです。 また、そういう彼らの人間性に触れたときに、“何か話を伝えていく意味での自然体”というのを、彼らから教えてもらいました。

報道の現場で、世界的な歴史の場に立ち会う

坂本雄次さん

坂本  日本テレビのアナウンサーからフリーになって、トータルすればもう50年近くですね。エポックになるようなご経験をたくさんされていると思いますが、特に印象に残ったお仕事はありますか。

徳光  僕は新入社員の頃に、当時の国家予算が「5兆円」だったのを「5円」と読んで、ニュースはクビになったんです。(笑)原稿に「兆」が抜けていて「5円」と書いてあったので、そのとおり読んだんですが、「常識がなさ過ぎる」と言われて、降板することになりました。
しかしある時、久米宏という稀代の伝え手が登場して、彼がニュース番組を変えた。それが何をどう間違えたのか分かりませんが、ニュースを変えようといったときに、「『ズームイン朝』の徳光をニュースに持ってくればいいんじゃないか」というので、僕に白羽の矢が立ってニュース「プラス1」を担当することになったんです。
僕は本当にニュースが嫌でしょうがなかったんですが、担当させてもらった3年間は、世の中が大きく変わって社会主義から自由主義になっていく時代でした。そういう現場に行って、国際人としての自分を味わうことができた。
そういう中で僕が一番印象に残っているのは、ベラ・チャスラフスカ(※東京オリンピックで人気のあった元体操選手)という当時のチェコの観光大臣にお目にかかったことです。チェコは、ちょうど僕がプラハに着いた日は社会主義、その翌日から自由主義になる瞬間で、100万人が集まっているヴァーツラフ広場の壇上で、僕が彼女に話を聞いたんです。
その時、彼女に「あなたのお子さんたちがこの自由主義を勝ち取ったのではないですか」と言ったら、「私たちは秘密警察が怖くて、家庭で現政権や国家体制に対しての批判なんてとてもできなかった。自分は観光大臣をしていながらできなかった。体操選手時代に一時亡命も考えたんだけれども、国に引き戻されて、それ以降、恐怖政治の怖さみたいなものを味わったので、とてもじゃないが何も言えなかった。ただ、家庭の中で “正義とは一体何なのだろうか” “人間の正しい生き方というのはどういうことか”ということは子供が小さい頃から話し合ってきました。そのことが実を結んで、今、彼らは立ち上がったんだろうか」と、チャスラフスカさんは滂沱の涙を流して言うわけです。“ニュースの現場に立つ”ということは、このような“歴史の場に立ち合う”ということなのかなと。

坂本  チャスラフスカさんは、東京オリンピックの時に「オリンピックの名花」と言われていて、我々は憧れの体操選手としか見てないじゃないですか。ところが母国に帰ればそういう社会的な背景の中で、長い歴史も含めて翻弄されながら生きてこられた。

徳光  そうなんです。

坂本  社会主義から自由主義に切り替わる刹那にいらっしゃったというのは、本当に報道のセクションにいなかったら絶対に経験できないことですね。

徳光  それまでの私は、言ってみれば、日本の中で、「長嶋監督の昨日の作戦はどうだったんだろうか…」なんてニュースばかりが気になって・・・つまり世界なんて考えたことがなかったわけです。そんな私がニュース報道でフセインに会いに行くとか、プラハに取材に行くとか。急に僕自身がグローバル人にならざるを得ない、でもそれは最高の経験でしたね。
報道にいたのは3年間でしたが、その3年間でこんなに世界が動いた。そういった歴史の転換期の現場に立ち会えたということが、やはり1つの座標軸になりました。

2 心筋梗塞がきっかけで健康に、そしてマラソンへ

徳光和夫さん

坂本  徳光さんは「健康に気を遣うということ、そのこと自体が既に不健康である」という持論をお持ちだったとうかがっているのですが、それを改めたきっかけはありますか。

徳光  それは心筋梗塞を患った時です。心筋梗塞の前は、「たばこは何本吸われますか、健康の秘訣はどうですか」ということをよく聞かれたりしたので、「そういう質問自体が不健康でしょう」と言っていたわけです。
うちのおやじは101歳で、死ぬことを忘れたみたいに生きていますし、おふくろが亡くなったのは93歳ですから、「徳光家は長寿の家系だから何をやっても大丈夫!」と思っていたんです。しかし、60歳になってすぐに心筋梗塞を患って、さすがに、ちょっと健康を考えなければいけないな、と思いました。確かに「人生60年生きてれば何かある」といいますよね。

坂本  心筋梗塞を発症された以降の生活で大きく変わったことはありますか。

徳光  心筋梗塞の前と後で一番変わったのは、やっぱり1日100本吸っていたたばこを1本も吸わなくなったということですね。僕は50代後半になっても平気で2日ぐらい徹夜マージャンやっていましたし、今からしてみると考えられないような食生活でした。

坂本  心筋梗塞を患ったことで、健康を考えるようになり、結果、体重が落ちたり、食生活が健康になったわけですね。

徳光  そうなんです。そうしたら今年の1月に坂本先生から24時間テレビのマラソンランナーをやってみないかと言われたわけです。その時は、「生活は健康的になってはいるが、まさか俺にできるわけない。いまさらもう若い時代の身体には戻れないだろうし」と思ったんです。
ただ、ひとつ思ったのは、本業ではない部分で、何かに取り組むということは、アナウンサーの時の試験や、立教大学に入る時以来、実はあまりなかったかな、と。もしこの坂本先生の話を真に受けたら、自分の中で、「健康」というものに取り組むことができるのではないか?と思いました。
心筋梗塞を患った結果の健康体は、あくまで“病気という他動的な要因”によって起こったものですよね。でも今回は、自らが“主体的に取り組んでいる”ので、実感が全く違うわけです。要するに、今は健康体に向かって自分が健康体を作っている、それは、より確かなものなんですね。

坂本  最初に、「マラソンランナーに徳光さんを」という話になった時、私も、正直言って考えました。心筋梗塞や、年齢のこともありますし、酷暑期ですから、やはり安全に完走していただかなければいけない。本当に大丈夫なのか、と。

徳光  本業でない部分で取り組まざるを得ないという気持ちにさせてくれたのは今回のマラソンです。いろはから全部学ばなければならないし、だから先生が嘘を言ってもそのまま聞き入れてしまいますよ。「これは長距離用のタバコだ」って言われたら吸ってしまいますね。(笑)

坂本  せっかくそこまでの発心をしていただいて取り組んでいただいた以上は、やった結果で何か、これから10年、20年先に残るものをお持ちいただきたい。そのためには何かといったら、やはり無事にゴールにたどり着くこと。それからもう1つ、健康管理のために、運動と生活を結び付けるということ。

徳光  それは、もう、おっしゃるとおりですね。

3 チャリティーマラソン本番に向けて

走るための食生活

坂本雄次さんと徳光和夫さん

坂本  日テレの24時間TVチャリティーマラソンランナーとして完走するための、今の食生活はどうですか。

徳光  朝はかなりきっちり取って、夜の9時までに食事を終えるようにしています。
朝は、キャベツ、レタス、ブロッコリー、ニンジン、ピーマン、アスパラ、トマト、それから鶏肉…、10数種類が入っているボール一杯ほどのサラダに、アマニ油のドレッシングをかけて食べます。あとトマトジュース、紅茶、イチゴジャムのパン。あんなに反対したかみさんが今は協力的にやってくれて、朝は結構充実していると思います。

坂本  朝はしっかり食べて代謝を上げる。そうするともちろん消化吸収もいいし、細胞の動きも活発になる。

徳光  本当に食生活とトレーニングのおかげだと思うんですけれども、この3ヶ月で、体重が6キロ近く減量しました。

坂本  本番終わった後、反動が出ないように。(笑)

徳光  終わった後、一番食べたいのはアナゴのてんぷらですね。それが今から楽しみでね。

日々の練習で、ランナーの気持ちを実感

坂本  NTV24時間テレビのチャリティーマラソンは8月20日~21日に本番を迎えます。身体を動かさなければいけない時間が正味24時間以上あるわけですが、このマラソンに対して、徳光さんの今のお気持ちはどうですか。

徳光  もう何十年も会ってないやつから手紙が来て、「今からでも遅くない、やめろ」とか、「リタイアも勇気だ」とか…、いまだに7割はそういう声援、激励ばかりですから。(笑)
もし途中で挫折したらどうしよう、と思うこともあります。
ただ、24時間マラソンでは、必ずひざが痛くなると言われるんですが、いまだにひざに痛みを感じたことはありません。これはもしかすると明るい材料かなと。でも、今夏も、暑さが予想されるので、気をつければいけないな、と。

坂本  確かに、ふつうのランナーでも、真夜中に走ったり、炎天下で走ったりとかは経験してないですものね。

徳光  そうですね。あと、走るってこういうことなのかな、と思うのが、走り始めは身体が重くて、徐々に慣れていくのに時間を要すること。あと、長く走るのに、意識的に休憩を取るのですが、あまりしっかり休みすぎてしまうと、そこから、またスタートする時の、あの身体の重さ、足の重さがつらい。ほどよく走ってほどよく休みを入れることが大切なんですね。

坂本  そうですね。これは本当に実践してみないとわからないですね。

徳光  あと、走った後のお楽しみも覚えましたよ。爽快な汗とすがすがしい気分、そして、スタッフのみなさんが用意してくれる「おはぎ」!これが美味しくてね~(笑)

本番に向けた抱負、今後に向けた抱負

撮影場所:大磯 「湘南発祥之地」石碑前にて

徳光  番組本番では、いつも会場の武道館で「頑張ってください」「もう少し!」などの言葉でランナーを迎える立場でしたから、今回で、走る側の気持ちが、少しはわかるような。(笑)

坂本  本番で武道館が見えてきて、皇居の近所を走っている時は、徳光さんが武道館で盛り上がって声援を送ってくれているのを中継車で流しているんです。

徳光  聞こえているんですか。 今までのランナーを見ていて僕が一番不思議だったのは、あれほど疲れ切っていたのにゴールが近づいてくると、最後、まさに別人になりますものね。

坂本  すごいでしょう。もうフォームから変わりますから。 24時間の中の23時間以上は、しんどさがずっと続いていて、体は絶対疲弊しているんです。ほとんど寝ていないし、筋肉痛は出ているし、場合によったら今回関節痛もでるかもしれない。どうしようもない状態なんだけれども、武道館が見えて残り2、3キロになると、これはもう本当に不思議なんですが、先が見えると人間というのは、気力が自分の肉体を引っ張っていくんです。これは多分実感されると思います。 私たちは横でいわゆる支える側ですから、そういうお気持ちでゴール、大団円を迎えていただけたら本望だなと思います。

徳光  分かりました。心構えはできているんですけれども、果たして実践が伴うかどうか。(笑)

坂本  終わった後は多分、しばらくはシャツとかシューズとか、こういうものを見るのさえも嫌になる。

徳光  あ、そうですか。(笑)

坂本  でも、今後も今のご自身の体調を維持し、改善方向に持っていくために、自分の身の丈にあったことを細く長くお続けになるといいと思います。
これをしなければいけないとか、これをこうしなさいとか言われてやることというのは絶対に続きません。それよりも例えば、ズボンのベルトの穴が1個減ったとか、ワイシャツを着るときに、袖ぐりのきつさがすっきりしたとか、そういったたわいのないことでも実感できることのほうが継続できるのです。

徳光  確かにそうでしょうね。続けるということの大切さはわかりかけてきていますね。 健康体を維持するにはどうすればいいかということを、それこそ坂本先生始めとして周囲の皆さんがこれだけ一生懸命やってくださるので、運動や食生活については、24時間マラソンを走り終えた後も基本的な部分だけは維持していこうと思っています。

坂本  頑張りましょう。ありがとうございました。

栄養のプロがチェック!

小島美和子

監修:小島美和子
管理栄養士
有限会社クオリティライフサービス代表取締役

夏の元気を保つ朝ごはん

暑い夏を乗り切るには、朝食を食べることがとても大事です。
朝食には、朝のからだを目覚めさせる働きがあり、食べることで代謝が上がり、一日中消費エネルギーが高い状態を保つことができます。暑さを乗り切るために、また減量にも効果的です!朝食のこのような効果を最大限に得るためには、朝食の中身が重要になります。
まずは、糖質をとること。私たちの活動のエネルギー源になるのは糖質と脂質ですが、糖質は体内に貯蔵できる量が少ないため、朝のからだは糖質不足。特に脳は糖質しかエネルギー源として使えないので、朝食を抜くとあたまが目覚めず、仕事の効率も上がりません。ご飯やパン、麺、シリアル、果物などで糖質を必ずとりましょう。
次に必要な栄養素はたんぱく質!暑さに負けないからだを作るために欠かせない栄養素です。たんぱく質は、糖質や脂質のように体内に貯蔵することができないため、毎食必ずとる必要があります。更にたんぱく質は、糖質を一緒にとることで、体温が上昇し、代謝が上がります。代謝が上がるということは、とった栄養素が体内で有効利用されるということです。
更にビタミンCの補給も忘れずに!暑さはからだにとってストレスになります。ビタミンCとたんぱく質は、からだがストレスを感じた時に対抗するために分泌される抗ストレスホルモンの材料になります。更に紫外線からお肌を守るためにも必要です。野菜や果物を必ず添えて食べましょう!

朝ごはんレシピ 「オクラチーズ納豆ごはん」

朝のからだを目覚めさせる、炭水化物+たんぱく質+ビタミンCを一皿でとれる簡単レシピ!アマニ油をさっとかけると、血液サラサラ効果アップ!オクラのねばねばが、胃腸の働きを助けてくれます。

●作り方

(1)オクラは熱湯でさっとゆでて、ななめうす切りにする。
(2)納豆を添付のたれと一味唐辛子で和え、1センチ角に切ったプロセスチーズを混ぜる。
(3)丼にご飯を盛り、(1)、(2)をのせ、きざみのりをのせ、アマニ油をかける。(好みで醤油少々をかけてもよい)

坂本雄次プロフィール

坂本雄次さん

1947年神奈川県生まれ。
自身のダイエットのため始めたランニングをきっかけに、当時在籍していた東京電力で陸上部の監督を15年務め、素人の中からフルマラソンを2時間30分で走るランナーを数多く育成する。
1993年にマラソンの各種大会を企画運営する会社「株式会社ランナーズ・ウエルネス」を設立。
日本テレビ 24時間テレビ の「24時間マラソン」、「湘南国際マラソン」などの立ち上げに尽力。間寛平さんのアースマラソンのアドバイザーとしても完走をサポート。

AIMS公認距離測定員
国際スパルタスロン協会日本支部代表
一般社団法人日本ウルトラランナーズ協会(JUA)理事

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