ニップンのDNA

日本の近代機械製粉をリードし、粉食文化の発展とともに歩むニップンのスピリットを掘り起こす、新ニップン紀行。

お国自慢は小麦も同様、パンのない鎖国の中で独自の粉食文化が花開いた

日本最初のパン屋は横浜に、日本人最初のパン屋は東京に開店した

うどん粉しか知らなかった人々の目と舌が出会った小麦粉カルチャーショック

わが国における機械製粉の物語はこの二人の政府要人から始まる

北海道を日本のアメリカと考え、小麦栽培の父となった彼が遺したもの

洋式水車+輸入石臼製粉器で道産小麦を挽くも、「其品位甚悪ク……」

水車機械所の経験を教訓に、動力を蒸気機関に替えた新工場に期待がかかる

ケプロンの蒔いた種子が芽吹き、小麦増産と本格的な機械製粉が現実のものに

民営化した札幌製粉場の製品と名声は、北海道一円から内地にまで広まった

個人経営の危機を救ったのは、麦作と製粉の振興を熱望する北海道民の総意だった

札幌製粉(株)の招聘を受け、近代製粉の本場米国から単身赴任した日本人技師がいた

その看板とは裏腹にあえなく挫折した、内地で最初にして最後の官営製粉所

アメリカの豊かさに驚愕した相場師が、機械製粉の創始に燃える事業家に変身していく

水車製粉全盛のなか、民間初の機械製粉所「泰靖社」が小名木川畔に姿を現した

国内の販路開拓に絶望するも、彼の才覚はロシアそして陸海軍に大きな活路を見出す

新しい発展段階に入ったと判断した彼は、事業を委譲できる新会社の設立に動きだす

希代の相場師にして型破りの大実業家、「天下の雨敬」の足跡は今も鮮やかである

雨宮の事業を継承し最大規模を誇った会社も、水車粉とメリケン粉の挟撃で危機的状況に

南條・境による日本製粉会社の再建、そして地道な販路開拓と技術的改善の日々

出資を募り会社を改組し、輸入粉に負けない本格的なロール製粉企業がついに誕生する

近代的製粉企業にふさわしい、旧来の小麦粉販売の常識を破る販売方法を考案した

会社創立当時、原料小麦の調達や製品の輸送はどのように行われていたか

関東~東海に地歩を築いた当社は、水車粉とメリケン粉が支配する関西に打って出た

相次ぐ会社新設と直後の急速な業界統合という特異な時代が製粉業界の趨勢を決めた

小麦粉の世界で演じられてきた三つ巴の闘いは明治末期に至ってついに終息する

南條・境体制が終わると、合理性と事業規模の追求を経営の根幹とする時代が訪れた

“新製品開発による新規市場の開拓”という意味で記念すべき高級小麦粉だったが……

ロール挽きそば粉の製造販売は、老朽設備を活用する目的で始まった

東洋・大里・札幌・東亜の4製粉会社を合併した結果、全国規模の工場配置が完成する

不況に打ち勝つ積極策として横浜に外麦専用の大規模臨海工場が計画された

金利負担と市況低迷による経営困難、そして金融恐慌を経て体制一新に至る激震の数年間

小名木川周辺に立地する当社工場は、多くの紆余曲折を経て最後に東京工場のみとなった

北海道の麦作の衰退を食い止めるため、小麦販売聯合会との間で小麦栽培契約が結ばれた

海外進出と資産喪失、被災と復興、企業整備などを経てようやく全国9工場体制に落ち着く

新たな発展を期して、いよいよ新分野である小麦二次加工製品への本格参に踏み切った

「オーマイカットマカロニ」の成功は、二次加工製品分野における記念碑的壮挙となった

未だかつてない高効率生産システム、それが製粉不況に打ち勝つための切札となった

小麦粉総需要の頭打ち傾向に対応すべく、思いきった設備投資計画が始動する

原料の小麦と製品の小麦粉、その搬送・輸送形態には大きな変化と革新があった

伝統的な業務用小麦粉の世界にも、高度経済成長とともに新しい風が吹き始める

家庭用製品の種類が増え、最終消費者への直接アプローチという新たな課題に取り組んだ

世界中で使用されていた小麦粉漂白剤が問題視され始め、迅速な対応がなされた

早くから研究を始めたプレミックスは時代の花形製品となり中核事業に成長していく

小麦の有用成分を利用する研究は当社の伝統的な研究分野の一つだった

ドーナツミックスの一手供給を契機にニップンドーナツ(株)を設立し店舗展開へ

“手打ちを超える機械打ち”への情熱が製麺100年の歴史を変える

そば粉にかけては原料、製法のあらゆる需要に応え、当社製粉事業の一角を担う

この新鋭工場の成功が、全社的な工場再配置プロジェクトの本格始動を可能にした

東京工場の移転を機に、世界トップレベルを行く新時代の主力工場を計画した

FAとOAを結合した世界最先端の自動化と新しい時代感覚が大きな注目を集めた

東京・加古川・厚木の3工場を擁し、家庭用食品部門を支える柱へと成長する

地味な素材産業というイメージを打破すべく、宣伝広報活動にも一層の工夫をこらして……

次代の主力工場として完成するも、需要に追われ設備増強が急ピッチで進む

クリームコロッケから始めて飲茶・グラタン・スープ、さらにフリーズフロー製品へ

時代の波に乗って冷凍生地類や冷凍パスタが伸長、生産・販売の体制整備が急がれた

昭和60年代に入るとバイオは最優先に育成すべき技術分野の一つとなり新展開が始まる

コンビニ向けの弁当製造という難しい仕事ながら、きわめてメリットの多い挑戦だった

グループの外食事業の強化と外食産業への素材提供を視野に新たな取組みを始めた

押し寄せる国際化の波の中で、部門対応から全社対応へとレベルアップを図った

TOPへ戻る